自然を拒絶する | 想像と創造の毎日

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  毎年流行るはずのインフルエンザがちっとも流行らず、風邪で熱を出す人もいつもより少ない。

  消毒の効果が出ているのだろうが、長い目で見るとそれは少し怖い気がする。

  例えば師匠の畑は、基本、無農薬栽培なのだが、年々、キャベツなどのアブラナ科の野菜が不作になっている。

  師匠は、堆肥の状態が合っていないとか、季節の変動もあるとは言うが、私は売っている苗そのものが弱っているような気がした。

  これは憶測に過ぎないのだが、売られている苗が、農薬ありきで育てられている種を使用するからなのではないかと思う。

  抗生物質の発見により、細菌がもたらす病気はほぼ完治が見込まれるようになったが、一方でその乱用により、薬物耐性を獲得したMRSAを作り出したように、もしかしたらウイルスもそうなる可能性があるようにも思えるのだ。

  農薬で雑草や害虫から守られ続けた野菜は、どんどん栄養価を下げていってもいるのかもしれない。

  師匠が、春になると熊が出るような山奥深くまで山菜を取りに行くのは、採取し易い道路縁の山菜は、細く、色が薄く、風味が弱いからだった。
 
  人が入ることが困難な山奥は、同時に植物にとっても、過酷な環境である。

  植物同士が、陽の光と土の栄養の奪い合いで育った山奥の山菜は青々として太い。

  もしくは、辺りの木々や笹に遮られて育つ山菜でも、種類によっては(例えばウド)その分柔らかく、みずみずしい食感になる。

  山菜たちは、自分を脅かす存在によって、自身をより強くする。

  それは、人間という同じ地球に生きる生命としての活動にも同じことが言えるような気がした。

  

  コロナが騒がれる中で、医療を逼迫させている根本的な原因になっていると私が思う指定感染症を外すのかと思いきや、政府はどうやら違う方向に舵を切ろうとしているようだ。

  人間は自分の命を脅かすウイルスを撲滅させようと躍起なのだった。

  研究することで、"見える"ようになったことが、今まで優しい諦めで、受け入れざるを得なかった領域を拒絶しはじめている。

  私たちは自然を支配したいのだろうか。
  神そのものになれると傲慢でい続けるのだろうか。
  
  そして、死を受け入れる術を模索することなく、苦しんだまま命の最期を迎えるのだろうか。