丸ごとの秋鮭に塩を擦り込み、寝かせて熟成させたものを塩抜きし、寒風で干し、野菜や調味料を混ぜた麹、米などを交互に重ねて、重石を変えたり、水を切ったりしながら、一ヶ月以上寝かせて、作る漬物である。
最近は、飯寿司を作れる人がめっきり減り、もらうこともあまりなくなってしまった。
滅多に食べられなくなれば、なぜか食べたくなるのが口の卑しい私だ。
師匠のお母さんが飯寿司作りの名人であったらしく、その味を引き継ぎたいと申し出ると、自分で釣った魚を山漬けにしてくれ、採れた野菜も提供してくれた。
昔の人は、1シーズンで、何樽も漬けたのだそうだが、一つの樽に漬けるだけで、私はヘトヘトになった。
魚を切るにも、大量の野菜を千切りにするのも、それを塩ごなしするにも、骨が折れる。
全てを漬け終えてから、師匠が山奥に行かなければ採れないという、美しい真緑の笹を敷き詰めた。
こんなに大きくて、艶のある笹が、この時期にまだあるだなんてと驚いた。
最後にこれを載せるのは、殺菌作用があるからだと師匠は言った。
師匠がしてくれるお母さんの話が好きだった。
師匠のお母さんが作る料理は、なんでも美味しかったのだという。
毎日のように開かれる近所の人達が集まる宴会に、それはそれはいろいろなものを作って、食べさせたのだそうだ。
豚も鶏も、自分で絞める。
そして、その皮も骨も脂も、すべて無駄にしなかった。
作ったものは、家族やお客さんだけでなく、郵便配達の人、通りがかった見知らぬ人にまで、振舞ったのだという。
今の私といえば、見ず知らずの人が作ったものを口にするのにはなんとなく抵抗があるし、ましてや、自分の作ったものを見ず知らずの人に食べさせるなんて、怖くてできない。
だけど、昔は物がなかったから、けど、なかったからこそ、分け合っていたんだと、師匠は言った。
車はさほど通らない、コンクリートの道路などない時代に、師匠の奥さんは吹雪の中、馬を駆り、街まで病気の子供たちを連れていったこともあるという。
なんて、強く、美しい女の人だったんだろうと思う。
自分が幼い頃のこの田舎の景色を思い出した。
都会のように物がなく、不便だったけれど、今よりももっと人が大勢いて、活気があった。
簡単に大きな街に行けないからこそ、自分の住む街をよりよくしようという気概があったのだ。
郷土愛。
自分が生まれ育った街を愛すること。
それは、自分が育った環境にこそ、自分を作る材料があったことを知ることだった。
飯寿司を丁寧に並べていると、いつのまにか身体の痛みを忘れて、安らぎさえ覚えていた。
食べるという生き物の根本的な欲望のために時間を費やすというごく単純な行為が、まるで宝物のように愛おしく思えたからだ。


