どうやったら争いにならないかよりも、どうしたらケンカに持ち込めるのか。
言葉が必要のない無言の信頼を壊せばいい。
仲のいい人をまずは観察する。
そういう人たちは、お互いにそんなに言葉を交わさなくても、相手がなにを考え、何を好み、何を嫌がるのかを知っている。
しかしその雰囲気は、お互いに相手を思いやる余裕があるから生まれるのだった。
だったら、その余裕をなくせばいい。
その人たちの間に入り、まずは気持ちよくなるような言葉を吐く。
私はいかにあなたが好きなのか、どこが尊敬できるのかをわざとらしくなく告げて、まずはそれぞれの自分に対する信頼を獲得する。
それから、なるべくそれぞれにたくさん話しかけ、その人たちが関わる隙を与えないようにする。
それから少しづつ、それぞれにされたことで、不快なことがあるのだけど、どうしたらいいかと相談を持ちかけるのだ。
私がその人たちが繋がる隙を与えずに、その人たちの被害者に対する優しさを利用する。
人は言葉の内容よりも、感情の方を敏感に感じ取るからだ。
その人たちは、平等という名のもとに自分の中にある正義感を振りかざしはじめるだろう。
いくら仲が良いように見えても、互いに違う人間だから、合わない部分は必ずあるはずなのだ。
普段は信頼の元に、無意識に触れないようにしている場所を突き止める。
距離が近くなるほど、人は良い部分だけでなく、誰にでも必ずあるはずの自分のコンプレックスや相手の欠点を見つけるようになるのだ。
そこを何気なく指摘して、でも私はあなたのそういう部分がいい。と好意を自分の方に向ける。
徐々に関係は分断される。
そうなったら、こっちのものだ。
自分はいかにそれぞれの仲違いを心配しているかをわからせながら、互いの不信感のために思考に一切の余裕がなくなったところで、自分の思い通りにする。
憎しみの感情に支配された人間を操るのはたやすい。
被害者に無条件で同情する人間らしさを利用しながら、自分がいかに中立であるかを知らしめるのだ。
火がついたら、お互いにどちらかが死ぬまでケンカをさせる。
火をつけた方は、高みの見物だ。
それぞれが自分の持ち物を火種にくべながら、疲弊していくのを眺め、どちらもの味方のふりをして、さりげなく援護する。
さて。
どちらが、自分の都合良く動く人間か。
自分の考えなど、しっかり持たないなるべく従順な人間の方が利用価値がある。
真面目であればある程よい。
作られた正しさに忠実な人間こそ、遊ぶことに罪悪感を持っているからだ。
自分に自信がないことを自覚していないやつほど良い。
少し褒めればそのあとは、思い通りに動かすことができるからだ。
想像力が乏しいやつも必要だ。
想像力が豊かなものは、私の悪事をすぐに気付くだろう。
最終的にはそちらを援護し、勝たせ、そしてその両方を支配するのだ。
急がば回れ。
私は絶対にあなたを悪いようにはしない。
あなたのために自分を犠牲にして、尽くします。
だからあなたは何も考えず、私の言うことを聞いてくれさえすれば良いのだ。
右手を出しなさい。
そうすれば、私があなたの欲しいものを与えましょう。
お金も、安らぎも、死への恐怖への克服も、欲望を叶えるものも、激しい性の衝動も。
私がすべてを満たしてあげましょう。
考える必要のない、苦労などしなくてもいい世界を作るのだ。
そこには、一切の苦しみがない。
悲しみも恐怖もない。
みんなが同じ考えと感じ方を持った、一切の差別がなくなった理想の世界だ。
しかしそこは同時に、一切の幸せすらも、感じることのない世界だ。
幸せという概念すらもなくなった世界だ。
言葉の意味はやがて統一される。
言葉や風景からは、物語が消える。
自分は、物語の主人公ではなくなる。
あの矛盾が作り出した、せつなく、残酷で、だからこそ、美しかった風景は消え去り、
その広がり、その奥行きを想像することさえないのだ。
ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
新しい方法によって、目に見える存在だけでなく、見えない諸々の存在をはっきりと認識することは現代の知的人間たちには絶対に必要なことです。 『三つの鏡』
2020年11月08日 21:02

