体感 | 想像と創造の毎日

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  ヨガの動画を探しているうちにオススメでスクールウォーズのドラマが出てきて、そういえばよく見たことがないと思いつき、Amazonprimeでなんと五話まで見てしまった。

  滝沢先生が、愛とは信じて待つこと。と恩師に教えられたと言った一話で、すでに号泣してしまい、息子にドン引きされる。

  いろいろごちゃごちゃと考えるが、結局はそういうことで、何を読んでも、何を調べてもそれ以上の素晴らしい言葉はないなあと思う。

  0歳から6歳までの子供たちを遠巻きに見てきた。

  スタートとなる性質のようなものは、みんな違うけど、泣いたり、食べたり、排泄したりという欲求は誰もが同じだった。

  けれどもどこから、この子達は、人をまっすぐに信頼できる子とできない子に分かれていくのだろうか。

  子供はそれぞれに悪さをしたり、まったくしなかったりといろんな子がいるけれど、やっぱり他の子たちのようにできないことが多い子は、他人に迷惑をかける存在だと集団に認知されている場面が見えた。

  なぜ他の子ができることができないのか。
  その理由は、筋肉が弱かったり、言葉や感情を理解する能力が劣っていたりという元々備わっているものの違いや、親から構われていなかったり、逆に過干渉であったりという環境の違いに至るまで、実に様々な要因がある。
 
  滝沢先生が自分が家族を顧みなかったために奥さんに責められて孤独を感じたときに、不良の子たちの孤独をふと共感する場面がある。

  人に理解されない。
  その寂しさが、正直さや素直さを彼らから奪い、暴力で人を支配しようとする行動に繋がったのだった。

  職場の後輩が、キツい言い方だったいうから、優しくしたら優しくしたで、今度はそれに甘えて、こっちの休憩時間すら慮ずに自分の休みを優先しようとすると怒っていた。

  普通は、相手がこうしてくれたら、自分もその代わりにこうしようとか思わない?と言うから、思わないんだろうね。と答えた。

  その彼女は、時間とお金にルーズで、整理整頓がすこぶる苦手で、なのに根拠のない自信に満ちていて、ちょっと注意されると落ち込み、しかし注意されたことをまた何度も繰り返し、失敗するのだった。

  たぶん、わざとではない。
  遅刻したときは、本当にそのたびショックを受けていて、私にそっと、またやっちゃったんですよね。と小声で話してきた。

  彼女は散らかった机の上のように自分の頭の中がとっちらかっているんだろう。

  とりあえず、相手を怒らせないようなその場を収める術と、自分を落ち込ませないようなストレス発散の飲み会を盛り上げる技術にだけは長けているように見えた。

  あんまり、期待するなよ。
  自分がしてあげたことが返ってくると思ってするなら、やらなきゃいい。だなんて、その時、後輩に言ってしまったけど、滝沢先生を見ていると、そうじゃないよなあと反省してしまった。

  今は無理かもしれない。
  でも、明日はできるかもしれない。
  明日はできても、また明後日はできなくなるかもしれない。

  それでも信じて待つこと以上に、人が人にできることなんてないんじゃないかと思ったりもする。

  というよりも、その心が根本になければ、何を言っても、心には響かないような気がした。

  滝沢先生は俺にはラグビーしかないと言って、娘は私には勉強しかないと言った。

  息子は頑張ってきた、スケートや野球や陸上しかなくて、私にはそれらすらもない。

  何かを一心に頑張ってきたというものがないような気もする。

  でもだからって、それがダメなわけでもなくて、今は仕事も行ってるし、家事もそれとなくしてるし、釣りもダイエットもしている。
 
  人に自慢出来るような誇りに思えることなんてないけど、たぶん病気になっても命だけは助けてくれる制度があるってことは、自分は生きててもいいっていう社会にとりあえずは生きていられているんだなって思う。

  社会が崩壊するときはどこかと考えれば、そういう生産性がなくなった弱者とされる者が、命を切り捨てられるようになったときなんだろうなとぼんやり思う。
  


  迷ったとき、心に戻れる場所があるという人は強い。
  本来ならばそれを、親があげなくてはならなかった。

  けれども、親がそれを持っていなかったら、やっぱり子供はその在処を求めて、彷徨って、人を傷つけて、自分を傷つけるのだろうと想像する。

  自分のことを信じ、待つ。そういう親が背景に見える子供がいる。

  そういう子は、集団に入って、最初はオロオロして、泣いてばかりいても、そのうちに自然と落ち着くことが多い気がする。

  けれども、小さいうちから集団に入れられる時間が多く、自分を見てもらってる時間が短い子や、親の都合に振り回されていい子を演じる子は、いつも心に所在がなく、常にイライラしていたり、もしくは世界が目に映っていないようにボーッとしていた。

  滝沢先生はそれをラグビーからもらったんだな。

  別に親とか恋人からとかじゃなくても、そういうものをくれる人や事柄は目を凝らせばどこかにあるし、ないのなら自分がそうなればいい。
 
  でもそう思える人は、そういう人に巡り会えた運の強さと、そういう人を見極められる感性が元々備わっていたからなのだろうか。

  それとも。
  自分をとことん壊すようにして、死の境目を本気で彷徨う程の孤独を味わった人なのだろうか。


  しかし、イソップ。まだ、5話では出てこないなー( ´:ω:` )