自分ルール | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。

  お腹が空いているときに買い物に行くと、最悪である。

  菓子パンや、スイーツの類が、キラキラと輝いて見えるからだ。

  今までは、息子と自分の分を買っていたのだが、ひとつだけ買い物カゴに入れることにしている。

  帰宅したら、とりあえずそれを冷蔵庫にしまう。

  冷蔵庫には、一食分のノルマである野菜たちを容器に入れて、常に待機させている。

  職場での食事にも、このセットを持っていく。
  昼食に取り掛かる前に、これらを食べなければならないというルールを自分に預けている。

  買い物から帰宅して、お菓子を一旦しまってから、ノルマである野菜を食べ始める。

  咀嚼は満足し、お腹の容量は満たされて、お菓子まで食べる気がなくなる。

  そこへちょうど、息子が帰ってきて、習慣的に冷蔵庫を開けるのだ。

  普段はお菓子を食べないし、お弁当は少なめに持っていくから(昼休みにみんなで身体を動かす際に、満腹だと動けないからだそうだ。)学校から帰ってくると、とりあえず何かを食べる。

  そこで、美味しそうなスイーツを見つける。
  食べていい?と聞かれる。

  私は、それ、私が食べたいんだけど…という気持ちを我慢するしかなく、息子に譲る。

  スイーツは食べられない。
  結果オーライだ。

  


  社会生活を送っていると、外食をしなくてはならない場合もある。

  昨日は、親の希望で、洋食屋に行った。
  メニューは、パスタやオムライス、ハンバーグやステーキで、私はそのカロリーと栄養素を考えながら、しばし迷ったのだが、野菜がたっぷり添えられたポークソテーを選んだ。

  そこは初めて行ったお店だった。
  駅のど真ん前にある少し古びた外観。
  
  ホテルで修行していたんだろうなと勝手に想像してしまうような白くて長いコック帽子をかぶった小太りの店主がキッチンにいる。

  テーブルはいくつか空いているけれど、待つように促されて、しばし店内を眺めた。

  料理が出るまでに時間がかかるのは、ひとつひとつの過程を食べる人にちょうどいい焼き加減や温度で喫食してもらうためだ。

  無愛想で細身の少し若そうなウェイターさんがひとりだけいて、忙しいのに急ぐ様子もなく、淡々と空になったお皿を片付けたり、会計をしたりしている。

  最近では片付ける際に、アルコールを噴射する光景がどこの飲食店でも見られるが、前と変わらず普通に布巾でテーブルを吹くだけだった。

  お待たせして、申し訳ありません。

と、丁寧にお辞儀をしたコックさんが本日のオススメのメニューを広げてくれる。

  口角が上がり、微笑む様子を見て、マスクをしていないことを私はそこで初めて認めた。

  いいお店だなあと、瞬間的に思う。

  時世に逆らうことなく、入り口にはアルコールが置いてあったし、ウェイターはマスクをしていたけれど、それはあくまで表向きなのだろう。
 
  メニューを広げて、その良心的な価格に納得する。

  きっと、以前とさほど変わらないスタイルで、営業しているのだろうと思った。

  他の飲食店では、軒並み価格は上昇していて、ついこないだはとても人気があって、大好きな焼肉屋さんが閉店した。

  肉の価格がひどく上がったと思っていたし、お客さんのスペースを確保するべく席の間隔を大きく開けていて、消毒にも熱心だった。  

  そのためのコストが影響したのかはわからないが、なにか問題が起こる前に閉店しようとしたのかとも思った。

  ここの店主はもういい年だろうし、だいぶ儲かってもいただろうから、評判のいいうちに店を閉めようと決心したのかもしれない。と、勝手に想像していた。

  母親が注文したオムライスの上にのる、美しい形のオムレツにコックの技術を感じる。

  最近は、古民家を改造したお洒落なカフェのようなところばかりで、こういう昔ながらの洋食屋
は、田舎に行くほど閉店の一途を辿っていた。

  レストランというほど、気取った雰囲気でも値段でもなく、気軽に普段とは違うご馳走を食べてもらいたい。
  そんな思いを感じて、感慨深い。

  不特定多数の人に供給する(調理から喫食までに時間を要するため、菌が増殖する可能性が高いのだろう)製造業において、マスクをすることは必然だろうが、こういった飲食店の調理人にはマスクは必要ではないと思った。

  本当はウェイターさんも必要ないんじゃないかと思う。

  お客さんを迎える際に、店員さんたちの表情だって、大事な調味料だと思うからだ。

  少し前に見ていたニュースで、新北海道スタイルの見本だとかいって、ススキノのあるスナックの店員が、マスクとフェイスシールドをして、お酒を作っている様子を見て、息子と大笑いしたことを思い出した。

  向かい合うテーブルの真ん中には、お馴染みのビニールの仕切りがある。

  そこまでして、お客さんは一体何を求めて、お酒を飲みに来るのだろう。

  スナックは、仕事の一日の疲れを癒したい人が、家で寂しく飲むよりも、優しかったり、会話が面白かったりする女の人に会いに来るところなんじゃないのだろうか。
  表情が見えなければ、その価値は半減する。

  意味のわからない押し付けられたルールは、息苦しい。

  社会は、自分が納得できるばかりのルールではないけれど、自分が作ったルールにだけは忠実でいたかった。
 
  この洋食屋さんには、次々にお客さんが入ってきた。

  みな、席に着くと、ほっとしたようにマスクを外す。

  コンビニではお皿の上におつりを置かれるが、ここでは手渡しでもらった。

  手に菌がついていたとして、そのお金を皿においてひと手間かけたところで、その菌はどうせお金についているのだから、意味はないんじゃないかとも思う。

  美味しかったです!
  また、来ますね!

と声をかけると、コックさんはやっぱり口角を上げて、ありがとうございます!と言った。