毒を以て毒を制す | 想像と創造の毎日

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  夏は嫌いではないが、私にとっては毒だ。

  植物たちがイキイキとしている様子を感じるのも、外に軽装で出掛けられるのも、寒さを気にせず夜空を眺められることも好きだ。

  けれども私の身体は、夏を拒絶する。
  気温が高くなると、持ち前のアレルギー体質で、あらゆる生き物が活発に活動することで発する物質を拒むのだった。

 目の痒みから始まり、くしゃみ、鼻水。
 夏も後半になると、喉の痒みに移行する。

 そんな状態で虫に刺されてしまうと、患部は通常の時よりも激しく腫れ上がる。

 ただでさえ、眠りが浅く、暑さが苦手で日中も疲れやすいのに、夜中に何度も覚醒してしまう。

  症状が重症化した極めつけは、ユリがたくさん咲く公園に行ったことだ。

  きつい香りが、目や鼻の粘膜をダイレクトに刺激して、その日は一日中、くしゃみと鼻水が止まらなかった。

  イライラが収まらず、常に目薬を差したり、目を冷やしたりしていた。

  しかしそういうときほど、外に出ることが大事だということを経験上、知ってもいる。

  最近の家は、高気密高断熱で、寒さに強い分、熱がこもりやすい。

  24時間換気の空調とエアコンのクーラーで、強制的に湿度と温度を心地良く調整できるのだが、それが余計に、私の身体を甘やかし、弱くしているんだと思い込んでいる。

  美しい花粉にすっかり骨抜きにされた身体は、ヌメヌメ、ザラザラした雑菌だらけの海で叩き直すのが手っ取り早い。

  海に行くと、アレルギーによる身体の反応が少し和らぐことに何年か前に気付いたのだ。

  海では水道が近くになく、手が汚れても、海水で洗い流すか、タオルで拭くしかない。

  目を擦ろうにも、汚れている手では触れないから、風に刺激されて流れる涙は垂れ流したままだ。
  患部には触れない。
  痒みを擦れば一瞬は楽だが、そのあとには地獄が待っている。

  そもそも、今年は釣竿を持ち続けて、魚を追っているから、目の痒みやくしゃみなどには構っていられなかったのだ。

  自分の身体の違和感がもたらす不快さを凌駕するような夢中は、私が私であることの意味付けや理由探しを意図せず、強制的に中断させた。

  生きることに虚しさを感じてしまう毒を、自然を奪いたい毒で制している。

  私は、生きていることに絶望できるほどに生きることを欲している。

  誰よりも自身を愛したいがゆえに、自分を不快にさせる材料を外にわざわざ探しているみたいな過去ばかりだ。

  何もかもが価値も意味もなく、ただそこに存在している。

  でも、だからこそ、私の価値や私の意味は、誰にも決めることができないんだ。

  その発見に有頂天になりながら、それでも好きな人のかげかえのない存在になりたいと思い、何度も自分を見失った。

  そうだな。
  人を好きになる気持ちは、自分が自分の王国で、独りよがりになることへの戒めのイベントなんだろう。

  自分が世界から必要とされない虚しさを、生きることへの根本的な欲望を満たすことで忘れようとしていた。

  それがいいことなのか、悪いことなのか、私は一生、知ることができないし、決められるはずもない。

  絶望しているときにこそ、他者の生きたい心を揺さぶる言葉が湧き上がる瞬間もあったからだ。