助けてもらったら、ありがとう。
じゃないんですか!」
ドアを開ける前にノックで、開けたあとは、失礼します!じゃないのかよ!
と、言いそうになってやめる。
彼女は30代前半にして、役職が付いたばかりだ。
不器用な上司や、歳上の彼女の部下は、彼女にミスを指摘されると、決まって、私にはできないわ。とか、じゃあ、あなたの好きにしたら?と、口答えをする。
この間、私が凡ミスをしたときに、彼女に責められて、私はその時に上司や同じ年頃の仕事仲間の気持ちがわかった。
自分のミスを認めて、謝るまで彼女は許してくれないのだ。
私は、完全に自分のミスが彼女の手を煩わせてしまったことを申し訳ないと思ったから、すぐに本気で謝ったのだが、確かにそれなりに仕事のスキルがある40代以降の人にとっては、彼女の物言いはカチンと来るものがあるだろうなあと感じた。
それなりに経験を重ねているから、わからないことを認めることもなかなか難しいだろう。
それなのに彼女は、後輩からタメ口をきかれたり、自分のミスを指摘されると落ち込むのだから、人というものは、それぞれに持つプライドに邪魔されて、なかなか自分の言動と行動の矛盾に気付くことができないものだな。と思う。
私は狡いから、他人の揉め事を見聞きして、自分をどちらの立場にも置き換えて、その度にシュミレーションをしている。
それなのに実際、彼女にミスを責められる立場になったら、瞬間的な感情を自分では選ぶことができなくて、コノヤロー!生意気な!と思ってしまったので、少しショックを受けた。
イラッとした気持ちは抑えるのではなくて、その感情に飲み込まれるまえに一旦、相手や自分から離れる習慣をつけようとしている。
はあ?なに?その言い方!
と口に出す前に心で言ってみる。
もちろんその時は、表情にそれが出てもいるのだろうが、良いも悪いもなく、いったん心で言葉にしてみるとそれは自分の人間としての意思ではなく、動物としての防御なんだと、自分で自分を許す。
自分がミスをした。
その事実からは逃れられない。
動物としての自分は、自分の弱みを見せることは居場所を失い、傷付けられる可能性があるから、それを守ろうとしてどうにか言い訳を考える。
しかし人間としての自分は、相手がそのミスを気付き、指摘してくれた勇気と手間に感謝しようとした。
「そうだなあ。
間違えたら、ごめんなさい。だ。
助けてもらったら、ありがとう。だ。
それは、あたりまえのことだね。
けど、人間って、どうしてか、歳を取ると自分のその重ねてきた年月と経験が比例しなきゃならないって思っちゃうんだよね。
それが長ければ長いほど、簡単に自分の間違いは認められないんだ。
私もそうだよ。ごめんな。」
彼女は、ふっとため息をついて、それでも納得がいかないように、もう!と捨て台詞を吐いて、去っていった。
それでも彼女のいいところは、イライラした気持ちを聞いてくれそうな人にすぐに吐き出すところだ。
そうすることで、自分の気持ちが落ち着くことを知っている。
だからそれほど、その感情を引き摺ることがない。
年功序列のシステムは、個々の能力の差を置いてけぼりにした。
どれだけ年月を重ねても、できる人もできない人もいるという事実は、偽りの平等という名の元に、できる人の負担を増やす。
彼女がミスの修正のために夜遅くまで残業をしていることを思うと、やっぱりせつなくなる。
もう少し、曖昧なことを受け入れ、柔らかくなれないのかな。と口にしてみたい衝動にも駆られるのだが、若さというものは、はっきりしない部分への苛立ちで、自分なりの答えを探しているものだとも、今ならわかるのだった。
私は必要ないのね!
私はもう辞めるわ!
と、すぐに口にするおばさんや、彼女の上司や年上の部下たちは、すっかり彼女に甘えているのだなあ。とただ思う。
そのセリフの裏側には、必要とされたくて、辞めたくないという気持ちが隠されているのに、そこに彼女が気付かないことでまた、彼女たちのプライドが守られているという矛盾。
それでも休憩時間には、一緒に雑談をして笑い合っているのだから、女って案外、単純な生き物なのかもしれないと笑える。
さっきまで本当にそんな激しい言い合いをしたたの?と、真剣に話を聞いていた自分がバカバカしくもなる。
別にこの子は、アドバイスなんて、欲しがっていないんだっけな。
どうすればいいんですか!という口癖は、私はこのままでいいですよね!と言っているように聴こえる。
そのままでいいけど、いつも同じところでイライラするなら、受け止め方が違うのかもしれないな。
不惑の40だなんて、嘘だ。
迷うことがない部分がなくなった場所があるとすれば、自分は自分以外の何者にもなれないというところだけだ。
ミスをする自分も、腹が立つ自分も、プライドを捨てられない自分も、そのままで許してあげられるのは、自分以外にはいない。ということだった。
そこを本気で認められたら、世界は初めてフラットになった。
変えられない自分がいることは、相手も同じなんだ。
そういう見方でしか、先には進めなかった。
