それはメロンに対する私の知識の中にある疑いようもない常識だった。
ふと見たテレビで、メロン農家の人が採れたてのメロンをそのまま切って食べていた。
メロンは、採れたてが一番美味しいんです。
メロンは追熟させても、甘さは変わらないんですよ。
自分の中にあるメロンの常識が一気に崩れ去る。
もらったメロンをすぐに冷やして、カットする。
切ったときの感触のあまりの固さに本当にこれは甘いのか?と不安を抱きながら、スプーンで果肉をすくって口に入れた。
爽やかな香りが鼻を抜けてから、歯茎には心地よい抵抗感が伝わり、まっすぐに舌は甘くなる。
本当だ。と思う。
果肉は確かに固いけれども、充分に甘さはある。
追熟させるのは、食感が柔らかい方がスプーンですくいやすくて食べやすいからで、甘味は収穫してから増えることはないのだ。
むしろ、柔らかさと甘味のバランスがちょうど良い時期を過ぎたときのアルコール発酵したような舌へのビリビリした刺激の方が、気になる。
だったら多少食感は固くても、早く食べた方が良かったのだ。
一方、バナナや西洋梨に関しては、追熟させないと甘さは増すことがない。
かぼちゃもそうだ。
なぜ、果実は甘くなるのか。
動物に自分を食べさせることで、種子を遠くに運んでもらうためだそうだ。
ではなぜ、果実が木を離れてから、甘くなる必要がある種類が存在するのか?
それは、種を運んでくれる動物に一気に果実を提供するのではなく、落ちてからも甘くなり続けることで、長い間食べ頃を維持させるためだそうだ。(追熟 Wikipediaより)
植物というものは、考える脳の部分が見当たらないのに、なぜこんなにも戦略的に遺伝子を維持してこられたのだろうといつも不思議である。
自分を食べさせることで感じる痛みがない部分で、自分の遺伝子を増殖させていくこと。
だとしたら、大量に食物を摂取しなくてはならない食物連鎖のトップに立つ動物ほど、痛みを感知するセンサーが敏感なのは、地球が自身にバランスをもたらすための意図的な計算なのかもしれないと思うのだ。
意識は、快楽と痛みを交互に感じることで、明確になる。
認識することが、感情をもたらした。
気持ちいい感情と気持ち悪い感情の両方を持つことで、感情を持つ生き物は、自分たちだけの種類が増えすぎる事を無意識に抑制しているように思えた。
意識は、地球の自浄作用のひとつであるのかもしれない。
