ゾクゾク | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  真っ黒のショートヘア。
  細いうなじ。
  薄い耳朶に小さなピアス。
  彼女は、私が降りる高校の三つほど前のバス停から乗ってくる。

  少しヤンチャな子達が通う隣町の高校の制服は彼女の髪と同じ色をした真っ黒のブレザーだった。

  踝まで長いスカートの丈とピアス以外に、彼女は他の真面目な女の子たちと変わらないのに、私にはまったく違う生き物に見えた。

  どんなに席が空いていても、座らない。
  友達らしき人に話しかけられても、他の子達のように無理にはしゃがない。
  背筋を真っ直ぐに伸ばして、いつも窓の外をぼんやりと見つめているだけだった。

  ちっとも派手じゃないのに、なんだか惹き付けられる。 
  憂鬱な登校日の朝、ほんの五分だけ、彼女を盗み見るのが私の習慣だった。
  
  顔立ちの整った美人ではない。
  けれども、自分を自分として受け入れられている余裕と、周囲にどう思われるかだなんて気にしないような潔さが、顔の作りのバランスの良さという基準からはみ出して、彼女自身を美しく見せていた。

  同じクラスの一番仲の良い友達が、街で彼女にある日、声をかけたから私は驚いた。
  聞けば、中学からの友達だという。

  彼女の隣にいる男の子を見て、さらに驚いた。
  私と同じクラスの目立たない男の子だったからだ。

  髪はボサボサで、なんだか脂ぎっている。
  背は低くて、体型はずんぐりしていた。
  ただ目だけがギョロギョロと大きく、分厚い前髪の隙間から覗いていた。
  その男の子は、オタクっぽい雰囲気の仲間たちといつも静かに教室の隅っこにいるような子だ。

「あの子、今度はうちの高校の男に手を出したんだよ。」

  その言葉の意味がよくわからないまま、その釣り合わない一組のカップルの遠ざかる背中を目で追いかけ続けていた。

  どちらともなく手を繋いだり、彼女が男の子に甘えるようにもたれかかったりしている。
  男の子は照れたように抱き寄せたり、かと思えば突き放すような仕草をした。

「あの子、ヤリマンなんだよね。
   中学のときから、社会人だけじゃなくて、結婚してるおじさんと付き合ったりしてたんだよ。
  だけど今度は、あんな冴えない男、選ぶなんてさ。  
  知ってる?告白したのあの子からなんだよ?
  信じらんないでしょ?
  どこが良かったの?って聞いたら、目がゾクゾクした。だってさ。」

  友達は彼女のことをそんなふうに言って、やれやれ。とため息をついたけど、彼女のことを悪く言っているわけではないと感じた。
  むしろ、彼女の女としての正直さを、羨ましさが入り交じった気持ちで受け入れているみたいだった。

  私はそれからその男の子のことを教室でよく盗み見るようになった。
  教室の女の子の誰も、男の子のことを気にも止めない。
  私も男の子の素敵なところを探そうとするのだけれど、ちっとも見つけられなかった。
  
  目が、ゾクゾクするの。

  私は男の子の脂ぎった前髪にゾクゾクはするけれども、そのゾクゾクは彼女の言うゾクゾクとはまったく違う意味だ。

  同年代のほかの女の子たちにはない、その特別な女としての魅力をなぜ、そのダサい男の子のためにわざわざ使おうとするのか。

  私は彼女の気持ちがまったく理解できないことが、なんだか悔しかった。そして、苛立たしくもあった。

  しばらくして、クラスの男子たちが、その男の子のことをコソコソと悪く言うのが聞こえてきた。
  この街の同年代の男子の間で彼女は有名だった。
  誰とでもやる女。
  なのに、ちっともその相手になる出番が、自分たちには回って来ないことに勝手に歯がゆさを感じているみたいに私には見えた。

「あのヤリマンに筆おろしさせてもらって、良かったな。じゃなきゃおまえ、一生、童貞だっただろ。」
  すれ違いざまにあからさまに男の子にそう声をかける男子もいた。

  男の子は入学したての頃のオドオドした態度から、少しずつ自信がある態度に変わって行った。
  彼女との交際が一ヶ月を過ぎれば、男の子をからかう男子は誰もいなくなった。

  けれどもそれからすぐに、彼女とその男の子とは別れたんだという噂が流れてきた。

  男の子は特に変わった様子はないように見えた。
  
  朝、出会う彼女は、相変わらず窓の外をぼんやりと眺めている。

  ある日には、首元に、絆創膏が貼られていて、私は見てはいけないものを見た気がして、思わず目を逸らした。

 男の子の髪が脂ぎっていないことに気付いたのは、そのあと少ししてからだった。

 オタクっぽい趣味で静かに教室の隅で盛り上がっていることは変わらないけれど、雰囲気が彼女のそれに少し似ていることに気付いてから、私は密かに男の子のことをキモい。と思っていた自分の気持ちを恥じた。

  男の子は男になっていた。
  髪が脂ぎっていないこと以外には、見た目には何も変わらないように見えるのに、時々、ふとどこを見るでもなく、窓の外をぼんやりと眺める仕草に私は少しだけゾクゾクした。

  それは気持ち悪さにも似た感情だった。怖いような得体の知れなさに不安が募るような、そんな背筋に虫が這うような感覚。

  それは、自分の女としての本能である、奪われたい願望を刺激するんだろうか。

  思いもよらない場所に異性を感じたときの衝撃。
  
  それは誰もが羨ましがる場所にはない魅力的な場所を自分が見つけられたときの喜びだ。

  そこに理論や常識や正義を挟む余地はない。
  挟めないからこそ、自分に起きた感情に忠実でいられるのが恋だった。

  自分がちっとも自分じゃなくなる瞬間に迷わずに身を投じるからこそ、その寿命が短いことを彼女はあの年で知っていたのかもしれないとも思う。

  けれど自分じゃなくなる瞬間に溺れ続けられるには、彼女は自分を知りすぎていた。

  あの頃のどの女の子よりも、彼女は自立していたのだろう。
  ロマンチストで、けれど、ひどく現実主義でもありながら。