”かわいいもの” | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。



  かわいいもののことを考えていました。
  まっさきに思い浮かぶのは、やっぱりぴーちゃんです。

  私が玄関を開けた瞬間に、昔の若い男の子がマブい(なつかしー(;A;))女の子とすれ違ったときに鳴らす口笛みたいにぴゅーっ!という声が聞こえるとぎゅっと胸の辺りが締め付けられるみたいに縮まります。

  うれしいときに広げる羽根も、怒った時に立ち上がる冠羽もあまりのかわいさに思わず頬が緩みます。

  

 昨日立ち寄った道の駅には、たくさんの種類の豆が棚に並んでいました。

 大きいものや、まん丸や楕円の形、黒や黄色や緑や斑点模様。

  それらが種類別にお行儀よく並んでいるだけで、どうしてかワクワクします。
 その中でも、ここにはなかったけれど、ひよこ豆という豆は豆界(?)の中で私にとってはアイドル的存在です。

  確かにひよこに見えなくもないくちばしのような突起を持った可愛らしい形をスープの中に見つけると、茶碗蒸しの底にある銀杏(こちらでは栗が入っているのが主流ですが)みたいになんだか嬉しい気持ちになるのです。
 
  えんどう豆のさやを割ると、中には緑色の丸がお行儀よく並んでいるのがかわいいです。
  夕食のお皿の上にそれがちょこんと添えられていると、もっとかわいいです。

  豆を半分に割ると、ふっくらとした身の厚い双葉が詰まっています。
  発芽の時に土を持ち上げて、それがよいしょっと顔を出す様子もかわいいのです。

  カラカラに乾いた豆が透明の袋の中で、静かに眠っていました。
  まるで命が時を止めているようです。

  生命のエネルギーが薄皮の中で自分のコピーが作られる日を今か今かと待っている。
  まるで生きてる宝石のような輝きです。

  鉱物は自分のコピーを作るDNAを含んでいないけれど、豆は生きたい!という欲望をその小さな丸の中に閉じ込めているのです。




  生命はメビウスの輪です。
  どこからかやってきた知性という意思が、命の設計図を作ったのだという説があります。

  進化論では私たち生命は、地球において偶然の産物だというけれど、本当はそうじゃなくて、この世に起こる何もかもは必然であるのかもしれません。

  しかし、どうして…

  かわいいという感情を味わっている過程でも、私は沸き起こる疑問を理論的に突き詰めるという行為を止められない。
  かわいいという感情を味わうことが苦手な私は、時々女の子であることから抗うように攻撃的になってしまうのです。
  かわいいというものは、どこか弱々しい。
  だけど本当は、そうじゃないのに。

   「かわいい」ものは、
きらきらしています。
生命力があるものです。
未来を内包しているものです。
ぴょんぴょん跳ねる何かを
持っているからこそ、
「かわいい」のです。
リブログ内より転載

  そうか…
  "かわいいもの"から私は、命の輝きを受け取っているのでした。

  かわいいものには、愛おしいという気持ちが沸き起こります。

  私たちは偶然から生まれたわけじゃない。
  すべての命は、それぞれに意志と目的を持って生まれてきたのです。

  そう考えてみると、キラキラしているのはまさに、自分自身だと思うのです。

  今にもぴょんぴょんと跳ね上がりそうなひよこ豆のように、私たちはキラキラした未来を内包する種(豆)なのでした。