いかの塩辛 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

ここ数年、界隈の海がおかしいのです。
近隣のスーパーのお魚コーナーはすっかり変わってしまいました。
ホッケや秋鮭はもはや高級魚です。

先日は、生のスルメイカが1杯(匹)、298円!!
数年前までは、一箱(20杯)千円で売られていたのに驚くほどの値段の高騰ぶりです。

ホヤも昔は捨てるほど捕れたのに、今はもらうことがなくなりました。

年末年始のご馳走たちを胃が受け付けません。
一体、どうしたことでしょう。
お寿司もすき焼きも、昔よりもすっかり身近になって、逆に昔、飽きるほどに食べていた日常食の方が、手に入らないものになっているのです。

そんな中で、この塩辛がめちゃくちゃ美味しくて、最後の晩餐はもうこれがいい!というぐらいどハマりしてしまいました。

舌が肥えているのか、そのへんで売っている塩辛に気に入るものがあまりなかったのですが、これは数年前ぶりに私の中で大ヒットしました。

普通のいかの塩辛よりも、細切りになっているのです。
通常の太さだと、いかの生臭さが際立つ感覚があったのですが、細く切る事でそれが軽減されている気がします。




金子さんの包丁捌きに惚れ惚れしています。
自分で釣る。もしくは市場で自分の目利きで魚を選んでいちから捌き、料理をするという行為に私はひどくかっこよさを感じるのです。

生きるために食べるという行為は、命の原点なのです。

一方で、生きている魚の目から針金を入れて、神経じめという方法で鮮度を保つという残酷さに、人の食べるという行為に対する果てしない欲望を感じます。

きらびやかな刺身盛りをお魚コーナーで眺めながら、ここに来るまでの過程に思いを馳せます。

魚を針から外すとき、あの苦しそうにもがく姿に沸き起こる感情を切り離しました。

もし。このままいろんなことがわかって、魚にも感情があるんだってことが可視化されてしまったら、私は魚を食べられるのでしょうか。

人間はこうやって、共感する能力を切り離したり、繋げたりすることができるんです。

普通にしていると自然に他人の気持ちに共感してしまうことが、いつも苦しかった。
だから、どこかで鈍感になる方法を探していたのでしょう。

知識を深めることで論理的になることは、いきすぎるとニヒリズムに陥ってしまうのです。

でも共感しているつもりでも、それは自分の出来事じゃないから、ただ便利さで暇を持て余した日常の心を揺らす材料にしか、なりえないのでしょうか。

釣られた魚の目は、何を見ているのでしょうか。
撃たれたエゾシカは、何を感じているのでしょうか。

知りたいけど、知りたくないんです。