文化の呪縛 | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。

  友人に誘われて、タイの方が主催するタイ料理のパーティーに三人で行った。

  後半になって、プレゼントをもらえるジャンケン大会が始まって、最初に当たった人は主催者の友人だというウズベキスタンから来た人だった。

  その人は、プレゼントを受け取ってから、長い自己紹介を始めた。

  私と友人は不安になった。
  次に私たちが当たると、こういう挨拶をしなくちゃならないんじゃない? 
  どうしよう。
  プレゼントが欲しくないと言うと嘘になるけれど、そこまでして欲しくはない。でも、全員で参加しましょう!という言葉に抗えもしない。

  それから余興のような主催者の外国の友人たちのカラオケが始まり、その仲間たちがステージ付近に集まって踊り出した。

  「こういうときにノリに参加できずに席に座ったままでいるのが、田舎の日本人だよね。」
と友人が言ったので苦笑いした。

  あまり上手ではないにも関わらず、情緒たっぷりに歌い上げるタイの方を見ながら、もう一人の友人が言った。

「うちの牧場に来てるフィリピン人が、よく、自撮りして、私のスマホに送ってくるんだよね。しかもすごいキメ顔で。」

「可愛いから、自信あるんじゃない?」

「いや。可愛くないよ。」

  たぶん、私たちとここにいる外国の方の決定的な違いって、自己肯定感の高さとか、自分をアピールしたいという欲望への忠実さなんじゃないだろうかと思った。

  きっとここにいる外国の人達は、みんな幼少期から親にあなたは一番可愛いよ!素敵だよ!と、言い続けられて育ってきたんじゃないのか。

  そして、物心ついた頃に集団に入れられても、周りが自己をアピールする方法が自然に身に付いていたり、自分は自分しかいないんだってことをしっかりわかっている人が多いから、抜きん出ることで足を引っ張れる経験が少ないのかもしれない。

  私はあまり歌が上手ではないのに、こんなに大勢の前で堂々と歌うのが、日本人だったら白い目で見ていたかもしれない。そう思って、自分で自分に身震いがした。

  外国の人は良くて、日本人はダメだなんて、なんて卑屈で閉鎖的な感じ方なのだろう。

  人に迷惑をかけちゃいけない。
  人に自慢しちゃいけない。って、心のどこかで思いたくないのに潜在的に植え付けられている気がした。

  自分ができないことがあれば人に頼ることも、自分が嬉しかったことを誰かに伝えたくなることも、人として当たり前の感情なのに、どうしてそういう事柄に対して、自分がすることに罪悪感が湧いたり、他人がそうすることに心の底で嫌悪感が生まれるのだろう。

  生まれた環境に元々あった国や家庭の文化が、自分の意思とは関係なしに自分自身を作ってきたことに不自由さを感じていた。

  ウォンさんという、私の友人の友人である主催者のタイの方が、私たちのテーブルに来て、
「料理は辛くないですか?美味しいですか?」
とにこやかに尋ねた。

  とても美味しかったので、美味しいです!と答えた。
  ウォンさんはホッとしたような表情を浮かべて、
「日本人は私たちよりも辛さが苦手なようなので、だいぶ抑えたのだけど、口に合うか心配でした。」
と付け加えた。

  最後にデザートが配られた。美味しかったのだけど、辛さと慣れないスパイスの風味に飽きていたところだったので、すぐに口の中に放り込んだ。それは甘いココナッツミルクの中にもち米が入っていたもので、ご飯に甘い牛乳を入れたもののイメージで舌が違和感を認識してしまい、思わず手が止まった。

  隣のテーブルにいた子供に目をやると、同じように一口すくって食べてから、そのデザートのカップをテーブルにおいて、すかさず目の前にあったメロンジュースを飲み干していた。

「気持ちはわかる。」
と私と目線を同じにしていた友人が言って、だけど私たちは大人だから、最後の一口まで残さず食べた。

  前に地域の行事でロシア人との交流があって、日本の食べ物を振舞ったときに、彼らは自分の口に合わないものに正直に顔をしかめて、いらない。と首を振っていたことを思い出した。

 「出されたものは、残さず食べなさい。」

という昔から親に言われてきた言葉がまるで呪縛のように脳にこだまして、その態度に違和感を感じていたのに、彼らの口に合いそうなものを見繕って差し出したのだった。

「私さ。自分の娘にかわいい!かわいい!って、いつも言ってて、写メ撮りまくるんだよね。
  でもさ?ホントは他の人から見たら、そんなに可愛くないこともわかってるんだけど、私は可愛いと思うから、そうしちゃうんだよね。」
と友人が言った。

「私もさ。自分の子供たちをもっと大袈裟なぐらい褒めて育てれば良かったって後悔してるから、それでいいんじゃん?
  というか。他の人から見たら可愛くないとか、その部分いらないんだよ。
  自分の娘は可愛い!!それでいいんだってば。」

  私がそう言うと、友人は苦笑いしていた。

  どう見られるかが先に立つのは、自分に自信が持てない証拠だった。
  でもその自信というのは、誰もが賞賛できるような部分ではなくて、自分の存在自体を肯定できるかどうかの部分なのだろう。

  外国の自己主張が強いような強烈な文化が、侘び寂びという日本人の繊細な感性に一気に入り込んできたことに私たちは未だ、戸惑い続けているのだろうか。
 
 ウォンさんもその友人たちも、とても謙虚で礼儀正しく見えた。
  そして、陽気で、活発で、自信に溢れている。

「私たちの国にも遊びに来てくださいね!」
と、ウズベキスタンの人が言っていて、自分の国が大好きだからこそ、日本にいても自分を見失わない強さを持っているんだと思った。