先日、たまたまコメントで深夜食堂というドラマの話をして下さった方がいて、そういえば私はこの漫画が好きだったなあと思い出した。
この作品に出てくる主人公のマスターが好き。というよりも、自分がこのマスターのようになりたいのである。
マスターは作品の中で、本名も素性も経歴も不明だ。そしてお店のメニューには豚汁定食とお酒しかなく(しかもお酒は一人に提供する量が決まっているのがとても良い。)、他は客が要望するものであれば、在庫のあるものでなんでも作ってくれる。
マスターは強面で愛想がないけど、客達の話をよく聞く。客達は、新宿というお店の場所柄なのか訳ありの人が多いのだけど、マスターの人柄に惹かれてやって来る常連客が多い。
客はストリッパーだったり、ヤクザだったり、ゲイバーのママだったり、AV男優だったり、見た目がふくよかな女の人だったり、美人だったり、実に様々で個性的な人達がやってくる。
それぞれが持つ物語をマスターは叱るわけでも、同情するわけでもなく、ただ聞いている。
客達は、それぞれに思い入れのある料理を注文する。赤ウインナーだったり、ポテトサラダだったり、きっと家でも作ろうと思えばすぐに作れるものなのだろうけど、客達はマスターに作ってもらいたがる。
それを見ている他の客達が、美味しそうだなって思って、注文し始めて、お互いに交わらない人生を生きている人達が、その何の飾り気もない質素なメニューを一緒に味わいながら、そうだよね。そんなこともあるよね。って、辛い気持ちに寄り添い合う瞬間にとてもグッとくる。
食をテーマにした漫画が昔から好きだが、料理そのものというよりも、食を通して描かれる人間のドラマが語られているものが好きなんだと思う。
ひとつのメニューの背景にも様々なドラマがある。それは生産者から仲買人、調理人の手を経て、やっと私の口に届く。
大地や天気や人の心が、ひとつのメニューの中にギュッと詰まっている。
それぞれの果てしない物語が、この一口の中にあるのだ。
なんだかんだ言って、私は料理が好きなんだと思う。
濃密な人間関係を避ける傾向にある私だけど、このマスターみたいな距離感でなら、人との関係性も楽しめるんじゃないかと思うことがある。
これはダメだ!アイツは酷いやつだ!と聞くと、自分が言われているわけでもないのに、なんだ悲しくなったり、逆に怒りが湧いてきたりする私でも、マスターのようにただうん。うん。って聞いてくれる人がこの世にいたら、どれだけ人は救われるんだろうって、なんだか泣きたい気持ちになるのだった。
どうにかしたくても、自分の力ではどうにもできない人達だっている。
常識や倫理や道徳の力がどれだけ平等を謳おうとも、人がそれぞれに違う人生のスタートと背景を持っている以上、どうにもならないことがあるのだ。
世界の地図の東の端っこは、何もなくて、寂れている。
だけど、そこにある濃密な生命の営みだけが、あるがままの私を許してくれるような気がした。
人はどうしようもなく孤独だった。
だから、争うし、傷つけ合うのか。
後戻りできない傷になる前に、悲しくて、苦しくて、どうしようもない客達にマスターは無言で飾り気のない、でも温かくて懐かしいメニューを提供する。
鹿やキツネたちが、零度を下回る空気の中で真っ白な息を吐く。
生きていることに必要なのは、温度だ。
↑最近、よく見ている。
きまぐれクックさんの作って食べるだけのシンプルな動画が良い。

