それなのに便利さは、人から待つ姿勢を奪い、物事を自分の思い通りにできないとすぐに怒りを感じるようにさせてしまったのかもしれないなって思う。
急がなくちゃいけないのは、時間を無駄にしたくない人達が大勢いるからだった。
効率的であることが、時間を大事にすることだと勘違いしているような気がした。
空の時計を眺めていると、時間は追い立てられるものじゃなく、ゆったりと漂っているみたいに感じた。
考え方が感情の在り方を決定するのだろうか。
それとも感情の在り方が、考え方を作るのだろうか。
思考と感情を分断するのは、思考の方だ。
その思考を作ったのは、社会的な生き方で自然をコントロールしようとしてきた、人間の欲望の力だったんじゃないか。
自然は敵であり、味方だ。
命を奪い、与えるものだ。
相反するものの間を漂う夕方が、徐々に視覚の力を奪っていった。
夜になる直前の夕方は、孤独であるものたちの輪郭をはっきりとさせた。
命は真っ先に影になる。
その中で、輪郭を持たない水と空だけが、最後まで色付いていた。
命は闇だ。
生きているということは、闇そのものなのだ。
光は永遠だ。
しかしそれは、生きてはいない。
暗闇の存在である有限の命が光を浴びるから、それは輝いて見えたのだった。
死は、終わりではなく、時間というしがらみからの解放だ。
それは、最後の希望。
だから、恐れることは、ない。
永遠への融合なのだから。
