責める空気 | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。

  職場のみなさんが、あるイベントのリハーサルの段階になって、様々な不具合が生じてしまったことにパニックになっていた。

  私の個室は、そんなみなさんの愚痴を吐くための洞穴だ。
  それぞれが、自分の感情をまっすぐに吐き出しに来る。
  私はその方たちの感情に飲み込まれないように、意識の境界線を張った。

  自分の思い通りに行かないことは、誰かのせいにしたくなるのだろう。
  今回の"悪者"は、イベントのメインを担当する新人さんだった。
  しかしその新人さんは、正社員としては確かに新人なのだが、臨時職員としての経験が長い。

  けれども私からすれば、中堅どころの人材が、一気に休職してしまった状況で、いきなり大事なポストをその人に任せてしまった会社の方に責任があると思う。

  なのにみんなの怒りの矛先は、その子だけに向かっているのだった。

  現場を取り仕切る肝心の上司が、「みんな、イライラしちゃってねえ。」と、呑気に言っていることも、他の職員のイライラを募らせる原因になっているのだった。
  求心力のある人材がいないのだった。
  というのも、去年までいた絶対的な支配者のような人が退職してから、みんなどこへ向かえばいいのかわからずにいる。

  去年までは、その人に従っていれば、仕事に支障はなかった。自分の考えなど持たずに、その人の命令に従っていれば、物事はスムーズだった。
  自分の意見を言える人は、みんな辞めて行った。残ったのは、自分で考える力を諦めた人たちのように私には見えた。

  そこであの臨時職員のおばさんが、さらに怒りを爆発させる。

  この前は、「あの子たち、まだ準備してないのよ。私は知らないわ!」と言っていたのに、いざ、このような状況になったら、「ほら!やっぱりこんなことになったでしょ!」と言っている。

  意地悪な私は、その矛盾をそのまま指摘した。おばさんは言葉に詰まる。

  やってしまった。と思った。おばさんの怒りの感情を反射的に返してしまった。
  
  おばさんは、人に、社会に、必要とされたいんだ。
  
  どうしてそのことを、忘れてしまう?
  


  そんな私の仕事の愚痴を今度は息子が聞いてくれている。起こったことをそのまま感情にまかせて話していたら、息子は、「なんだか、色々と、不平等だなあ。」と言った。

  私が、「けど、世の中って、元々、平等じゃないじゃん。」と言うと、

「そうだったね。ライト級とヘビー級のボクサーを同じリングで闘わせてるみたいなもんだ。」
と返ってきた。

  私は驚いた。
  我が息子ながら、コイツ。やるな。と。
  ちゃんと、平等の意味を理解してやがる。
  成績は良くないけれど、それさえ理解していれば、人生、なんとかなるかもしれない。 
   私はその若さで、本当に理解していて欲しいことが腑に落ちている息子をなんだか誇らしく思った。

  だてに、彼女に無許可で撮った、彼女の普段の仕草の動画を見て、
「この子、シマエナガみたい。」と、ニヤニヤしているだけではなかったのだ。

  自分で考える。という行為は、物事に対して、疑問を持ち続けるということである。
  
  だからまずは、自分の無力さを認めることからはじめたい。
  その自分の無力さが、他人にも同じようにあると思えた時に、人を責める気持ちは協力する心に変わるだろう。

  無力だから、できないんじゃない。
  無力だから、助け合うんだ。
  くだらないことで、近くの人を妬んで、恨んで、罵って、嫌がらせなんてしている場合じゃない。


  


現実に対応するためには

現実主義者でなければ

ならないのは当然のことであり

 

そうでなければ

世の中から乖離してしまう

 

現状認識をするためには

現実主義者になるしかないのである