昼間の温度は一桁になり、朝晩は零度の間を行ったり来たりしている。
まだまだ冬は来ないなあと安堵していると、それは突然やって来る。
その温度差にいつもいつも戸惑うのだ。
エゾシカたちはもうすっかりバンビのような可愛い模様の夏の毛皮を脱ぎ捨てて、地味な色を身にまとっている。
カモメやウミネコは、一ヶ月ほど前には砂浜にたくさんの羽根を落としていた。
変わりなく日々を過ごしているように見えても、身体は意志とは関係なく自然に冬支度をしているのだ。
季節に忠実な肉体は、それだけでもう自然との境界線を排除する。
仲間たちが啄まれているのを素通りする動物たちは、決して心が冷たいからではない。自身が自然の一部としての自覚があるからこそ、死を特別視しないのだ。
秋にもみじが色づいて、その葉を切り落とすことと同じように、己の生にただ忠実であるだけなのだろう。
いろんな想いが天気のようにくるくると変わることを煩わしいと思いながら、それでも心をなくしたくないと思うのはどうしてだろう。
命が最初から、自分の意識の中でしか感じられないことに、ずっと抗ってきた文明に生きている。
悩む。ということは、過去と現在の他に意思で未来を予測する能力だった。
動物たちにはきっとそれがない。
自分たちの未来は肉体という現実に付随している。
そうか…と、思うのだ。
不安を原動力に、不完全さを補おうとしてきたのが、人間なんじゃないのか。
羽根がないことも、毛皮がないことも、未熟な肉体で生まれ落ちることも、相反する世界の中でその辺に散りばめられた目に見えない愛を受け取るための欠如なんだ。
外にさまよう心を景色に重ねている。
移りゆく季節をむき出しの肌で感知しながら。
感性という唯一を使って、心を身体に収めた。
身体に収めらない心じゃ、真実を探しになんて行けない。
忘れるな。いつでもその方法を。
