連日、曇り空が続いている。
西にそびえ立つ見慣れた山は、雲に包まれて稜線が曖昧なままだ。
来週あたり、一度山に登ろうかとみーちゃんに告げると珍しく、私も一度行きたい。と言ってきた。
お互いの都合がつかないから、しばらくは無理なのだが。
しかし私は、山を登るのは一人の方が好きだ。
というよりも、一人でいることの寂しさや怖さを確認しに行きたいのかもしれない。
霧雨が降る日だった。
あの日は本当にひとりぼっちの登山だった。
登山ポストの中にある入山帳には、昨日の日付けから名前がなかった。
1000mほどの低い山でも、たった一人で山に入るのはやはり怖い。
ましてや、初めての山であるのなら、なおさら。
足を進めるほどに、霧は深くなって、どんどん地上が遠ざかっていくのを目下にすると、孤独はさらに深まる。
もし今、自分に何かあってもすぐに誰かが来られないというあの寄る辺なさ。
それは、自分が普段、どれだけ人やモノに助けられて生きているかを痛感する瞬間だった。
人はないものを実感することで、あったことのありがたさが身に染みてわかる。
そんなことを確認するために、わざわざ山に登りに行く自分は、やっぱり、甘ったれで、恵まれているのだろう。
九号目に差し掛かると緑は一気に減る。
ゴロゴロとした岩が行く手を阻む。
先が見えなくて、一体あとどれぐらいこの岩をよじ登れば頂上に着くのかとますます不安になってくる。少し足を滑らせれば、湖に真っ逆さまだ。
何度も戻ろうかと弱気になる自分を奮い立たせるようにして、ただ上へ上へと岩場の間をくぐっていくと、突然空が広くなった。
頂上だ。
身体の動きを止めた途端に、汗が風を吸い込んで、肌は急激に冷えた。
額や背中から流れ出る汗と一緒に、身体の中に溜め込んだ毒素が抜けていくような錯覚に陥る。
地上を見渡すと、街はジオラマのように見えた。
私は途端に神様みたいな気分になって、あのおもちゃみたいな街であくせく働いているのであろう人間たちを見下ろすのだ。
人は、なんてちっぽけなんだろう。
そして、普段の悩みや虚しさは、なんてくだらなかったのだろう。
バックパックに詰めた最低限の荷物だけで、人はこんなふうに天国の近くにだって、行けるというのに。
生温い水と梅干しのおにぎりがこの世で一番、美味しく感じられる場所がある。
世界がこんなにも小さくて、狭いものだと気付かせてくれる場所が身近にある。
そういう気持ちは、私をしがらみのようなものから解放させた。それは、自分で自分を縛りつける思い込み。という概念からだ。
ジーンズのウエストが少しだけ緩くなった。
階段の昇降がなんだか楽になった。
入念な準備は、怪我を予防する。自分の身を自分で守ることは、最低限のマナーだ。
山を一人で登るのは、寂しいかな。苦しいかな。
不安や恐怖は、好奇心といつも隣り合わせだった。
それでも、辛かった思いよりも達成感の方が、新しい記憶として脳を塗り替えてしまうのは、何故だろう。
大勢を感動させられない物語を生きてる。
だけど、自分で自分を感動させられる物語は作ることができるような気がした。
