都会の濃度 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  札幌って、すごい都会なんだなと行くたびに思います。東側から日高山脈を超えると車の数が途端に多くなるんです。
  人も建物も密度が濃くて、目眩がする。

  見慣れない高いビルと標識の種類の多さにどこを見ていればいいのかわからなくなります。
  目的地の建物が高速道路の眼下にあるのを見つけたのに道を一本間違えただけで、すぐに戻れないからどんどん遠ざかるんです。

  この間、久しぶりに地元のユニクロに行ったときにも驚きました。カゴにいれた下着やTシャツを台に置いただけで、目の前の機械の画面に一瞬で会計が出てきたのです。

 
  私が山や海で、鳥や花や草を撮っているうちにどんどん世の中は変わっていくんです。
  札幌だって半年行っていないだけで、あるはずのお店が違うお店に変わっている。

  人がたくさんいる場所は、時間の流れが速いです。
  足早にすれ違う見知らぬ人達に追い越されるたびに自分の時間も追い越されていく気がしました。

 近所のおじさんが亡くなったと聞きました。
 よくお菓子やパンをくれるおじさんです。
 それで何かを返したこともないのにそんなこと関係ないみたいでした。何かをあげるという行為で、誰かが喜ぶことがただ嬉しかったのでしょうか。

  家庭菜園が唯一の楽しみで、それも誰かにあげるために作っていた。自分が食べるよりも自分が作ったもので誰かを喜ばせるのが好きなんだと思いました。

  結局、人に残る最後の財産は人のために何かをしたことで喜べる気持ちなのかもしれません。
  溢れるほどのモノが目の前を通り過ぎていくたびにその儚さに虚しくなる。

  狭い都会は密着する身体の近さで、どんどん人を遠ざけてるみたいに思えました。

  こんなに人がたくさんいるのにすれ違う人はみな私のことを知らない。
  それは気楽なはずなのに少しせつなくもなるのでした。


  地上の景色の情報や形がこんなにも違うのに、空が同じ色で頭上に広がることが不思議です。
  みんな同じ身体の構造なのに目では見えない場所で違いを感じていることにも。

  人とのちょうどいい距離を上手くとって歩けない私が、すれ違いざまに見知らぬ誰かと肩をぶつけます。

  謝るついでにこんなことを聞いてみたくてたまらなくなる。

  あなたは私とどう違うのですか?
  あなたは私とどこが同じですか?
  それは性別とか、生まれ育った環境とか、好きな物とか、経験や知識なんかじゃなく。

  あなたは私との違いを数えて悲しむ人間ですか?
  それとも同じ場所を探して、ただ悦ぶことのできる人間ですか?
  と。