同情するなら金をくれ | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

昔、同級生に生まれつき
肘から下の部分がない右腕を持った
男の子がいた。
私はその時まで、
人が当たり前についているはずの
身体のパーツが欠けている人間を
見たことがないから、とても驚いた。
可哀想という気持ちが
湧き上がってきたし、
その部分を見ないようにして、
話題に触れないことが
優しさだと幼いながらに思った。
それなのに
クラスで一番やんちゃな男の子が、
その子の腕に気付くなり、
物珍しそうに覗き込んだ。

「うわあ!こいつ、腕がない!
   気持ち悪い!」

すると女の子たちは、
「やめなよ。かわいそうだよ。」
と言い、
男の子たちは好奇心を湛えた目で
彼の腕をまじまじと眺めたり、
触ったりしていた。

右腕のない男の子は、
その様子を嫌がらなかった。
しばらくの間、
バカな男子たちが、
からかってもいたけれど、
彼が常に淡々としていたことに
私は安堵した。
そればかりか彼は、
右腕がないことに何の不便さも
感じていないようだった。
左手と口を器用に使って、
ご飯を食べることも、
着替えることもできる。
日常生活に誰の手伝いも
必要としていなかった。
なんなら、跳び箱も鉄棒も
健常者よりもずっと上手だったのだ。

ある日、親たちが
ヒソヒソと彼の噂話をしているのを
私は聞いてしまった。
どうして腕がないのかとか、
彼の家庭の事情だとか、
憶測とも真実ともつかない話だ。
かわいそうよね。という言葉が
会話を区切る瞬間が訪れるたびに
まるで決まり事のように
誰かからの口から漏れた。

まだ思考も経験も未熟な子供の私でさえ、
その"かわいそう"が、
差別的なニュアンスを含んでいることに
無意識下で気付いていて、
悔しいような、悲しいような、
憎しみのような、虚しさのような。
その全部の感情が混じり合ったみたいな
いやな気分になった。

あの子は、かわいそうなんかじゃない!
腕がなくたって、私よりもなんでも
できる。
しかも彼のお母さんもお父さんのことも
彼には関係ないじゃないか!

あとになってわかったことは、
大人が他人を見下すという方法で、
仲間意識を強めたり、
自分を承認したりすることが
あるんだということだった。

だってそんなふうにかわいそうね。
なんて言ったところで、
大人達は彼に対して、
どんな行動を取っていたと言うのだろう。
かわいそうだと思うのなら、
おまえたちがお金やら時間やら手間を
彼のために少しでも使おうと
思ったことがあるのか。

おまえたちのその無神経な同情が
どれだけ傷つく必要のない子供たちを
無意識に傷つけているのか。


同情するなら金をくれ!
と言うセリフを聞いたのは、
それから数年経ったときだった。
私はもう既に
安達祐実ちゃんの側ではなくなっていた。
彼女のセリフに罪悪感を感じられるぐらいに
私の嫌いだった
"大人"の思考に近づいていた。

今の自分が、昔の私が憎んだ大人に
なっていないとは言い切れないのだけど、
子供を簡単にかわいそう、かわいそうと
言う大人には相変わらず、
怒りのような気持ちが湧くのだ。

かわいそうだと決めつける
その石のように固い脳みそを包む
頭蓋骨をかち割って、
中身をぐちゃぐちゃにかき回してやりたい。

おまえは人を慰めて、
自分が勝手に決めた
常識に従わない悪を退治する前に
自分の視野の狭さが、
本当はかわいそうじゃない人を
かわいそうな存在に勝手に仕立てあげて
二重に傷付けていることにまず
気付いた方がいい。

その薄っぺらい正義が
一番の悪なのだ。