川の底から | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

ママには私のことはわからない!
なんでもできたママには
いつもカンタンなことで
つまづく私の気持ちなんてわからない!

娘に泣きながらそう言われたときに
私ははっとしていました。
自分の考えを押し付けていることに
気付いたからです。
そのときの私はきっと
娘の気持ちを共感するのが
怖かった。
娘の不安を自分の不安にしてしまうことが
怖かったのです。
そしてそんな娘の不安を
解消してあげられない
自分の無能さを認めることが
嫌だった。

自分の思うようにいかないことが
多くて、
クラスメイトをイライラさせてしまうと
感じていた娘はよくこんなふうに
言った。

おどおどしたくないのに
泣きたくなんてないのに
どうして人前に出ると
おどおどしちゃうんだろう。

叱られて、怖いわけじゃなくて、
自分が情けなくて、涙が止まらない。


水面は流れが止まったときに
鏡のように目の前の景色を
映し出した。
透明であるはずの水は
明るい光の前では
決して川の底を見せない。
表面でそれを反射して、
その仄暗い奥底を隠した。

おどおどするのも
泣いてしまうのも
目の前にいる人に映っている
自分の姿が
自分の望み通りではないからなのだろう。

目の前にいる人は
自分の目に映っているにも
関わらず、
そこにいるのはその人ではない。

その人は私の存在を否定しているのか、
私の行為を否定しているのか。

前者なら聞く耳は持たない。
後者なら、自分のしてしてしまった行為が
その人の何かを奪う行為だったのか。
それともその人が
自分を守るための行為だったのか。

あとで振り返って、
よく考えてみたらいい。



とりあえず、泣けよ。
めんどくせーなって、
こっちが嫌になるぐらい
言いたいこと言えよ。

その拙い選択、
少ない語彙。

無数にあるようで
実に何ひとつ
正確に表すことのできない
言葉という道具で。

誰にも何も言わせない。
そう言って、叫べよ。

娘が自分の存在を
世界に訴える行為を
どうして親の私でさえ、
妨げる権利があったのか。



ひとりでいるのは寂しいか。
だけど、
どんなに大勢の人達に囲まれていても
本当の自分の気持ちを
言えなかったなら、
寂しさはいつまでも消えはしない。

寂しいことは
虚しいことじゃない。
わからないことは
恥ずかしいことじゃない。

どうせ自分なんてっていじけて、
自分の怠け心を
誤魔化そうとするなよ。
それは他人を自分の思い通りに
動かそうとしてることと同じだから。