子どもだった頃。
ケンカしたとき。
傷ついたこと、いちいち口になんてしなかったのは、心配かけたくなかったのもあるけど自分が誰かに嫌われたり、傷をつけてもいい存在なんだと見下されているような気がしていて、それを認めたくなかったからなんだろうな。
大人になったはずの私は過保護過ぎたり、逆に放置し過ぎちゃう。何か問題のようなものが起きると加害者と被害者にすぐに分けようとしたりして。問題が大きくならないようにという不安が起こす先回りが余計に問題を大きくしていることにも気付かずに。
どこまでが見守ることなのか、どこから助けが必要なのか。見極められない自分の無力さを自覚することもなかった。
大人になって思ったことは、好奇心がなくなったわけじゃなくて、知識が増えたことで臆病になってしまうんだってこと。
自分の中にある不満や嫉妬や不安の扱い方を知らずに年だけを重ねていたようにも思えた。
心を閉ざしたことも、逆に相手の心をこじ開けようとしたことも単に自分を守る術だったのだろう。
見たくない、気付きたくない自分を目の前の人の中に見ては嫌悪している。
だけどそれが自分自身なんだと心から認められたときのあの不思議な安堵。
未完成な私だから、私にはあなたが必要でした。
ケンカをした分だけ、今度はケンカしないで済む方法に気付くこともできるんだね。大人にこそ、ケンカすることが必要なのかもしれません。くだらないケンカをしては、冷静になる瞬間を待ち、ごめんね。と謝り、わかったよ。と許す。それは私はあなたに甘えています。あなたに汚い私のことも知っていて欲しいのです。という特別感というある種の差別のようなものを伴った信頼とか愛。


