独特なコミュニケーション | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。

小学生だった頃。
初めて身体的な障害ではなく、脳に障害というものが生まれつきある人に出会いました。
その子は私より三つ歳下の男の子でした。当時、彼は特学と呼ばれている教室で先生とマンツーマンでお勉強をしていました。

それまで、特学というクラスがなかったこの学校の子供たちは、彼が入学してきてから、彼のことが珍しくてたまらなくて、興味津々でした。

休み時間になるたびに学校中の子供たちは、特学に遊びに行きます。私も時々、遠巻きに覗きに行きました。

彼が普通と呼ばれる私たちと明らかに違っていたのは、言葉は話せるけれども、会話にならないところでした。彼は誰とも目を合わせずにずっと独り言を話しています。時々、自分の興味のある質問をされるとそれについて長々と説明してくれて、それが子供たちにとっては面白く、みんなが一斉に彼に何度もたくさんの質問をするようになりました。彼は歴史と算数が大好きでした。年号を言うとそれは何時代でその頃に何があったのか、算数の長い足し算もすぐに答えることができました。子供たちは何度も何度もしつこく彼に歴史と算数の質問を繰り返し続けるようになりました。

ある時、突然。彼がそんなみんなの度重なる質問に答えきれなくなって、大声を上げたのです。それから、自分の頭を机に何度もぶつけました。

いやだ!と言いたい気持ちを自分を傷つけることで表現していたのでしょうか。

その事件が起きてから、先生は子供たちが休み時間に特学の教室に来ることを禁止しました。

彼に接することができなくなった子供たちは、一斉に興味をなくしたように話しかけるのを止めました。

それでも時々、ヤンチャな男の子が彼の姿を見つけて、歴史の年号を叫びます。すると近くにいる女子が彼を咎める。

やめなよ。またそんなふうにからかったら先生に叱られるよ。

彼はそれから歴史のことを話すことはなくなりました。誰かが、質問を投げかけても聞こえないようにして、ぶつぶつと意味が聞き取れないような言葉を繰り返し呟くだけです。

彼は寂しくないのかな。
誰かと一緒に同じものを見て、同じことをして、楽しいと感じたり、時には悲しい気持ちを誰かに慰めてもらいたいとは思わないのかな。
私は知ることの出来ない、想像もつかない彼の気持ちを勝手に自分の気持ちに当てはめて同情した。

大人になった彼を時々、今でも近くのスーパーで見かけます。

すっかりおじさんになってしまった彼は、風貌は変わっていても中身はまったく変わらないようにも見えました。いつも同じお菓子を買い、誰とも目を合わせずに、ぶつぶつと聞き取れない言葉を呟き続けています。

彼がある時、小銭を落としたので、咄嗟に拾いました。彼は目を合わせずにありがとう。と言いました。

あの頃の彼は、ありがとう。すら言わなかった。

私はあの頃と同じように彼のことが今でも珍しい存在だと思っているのです。
自分とは違う脳の構造を持っていて、自分の予測できない行動をされたらどうしていいかわからなくて本当は少し怖い。

娘が高校生のときに、同じクラスに障害とまではいかなくても、少し変わった女の子がいて、その子の制服がスカートではなく、男の子と同じパンツだったことを不思議に思った私は彼女にまっすぐにどうしてパンツ履いてるの?と尋ねて、周りに怪訝な顔をされたことがあります。

彼女は、スカートが嫌いなんです。という言葉を皮切りに延々とスカートについて、そこから服装というものについての自分の認識を話し始めてしまったので、私は困ったな。と思いながらも面白くなってきて聞き入ってしまいました。

他人が何を考えて、何を思っているのかなんて、結局は誰も知ることはできないのは、障害があってもなくても同じなんだと思います。
私は自分自身のことを共感能力に優れていると思い込んでいるのですが、それはやっぱりどこまで行っても想像でしかなく、真実はそれぞれの心の中しかないのだなあとも思います。

私は人の痛みに敏感かもしれないという自惚れを持っているのです。だけど、だからって、その人の痛みを肩代わりすることなんてできないと望まれていもいないくせに思ってしまって、勝手に自分を無力な存在に仕立て上げたりもするのです。

自他共に認める、コミュ障であるだろう娘に最低限のコミュニケーションの仕方を未熟な大人の私が教えてみました。学校の実習の現場で困る場面が多くなるだろうことは私の予測の範囲内でもありました。だけど、コミュニケーションは脳みそでいくら考えても所詮想像でしかない。実践を積み重ねて、人とリアルに関わることでしか、学べないことがたくさんあるのです。

もう正しいとか間違ってるとか、よくわかんなくなったら、自分が嫌だなって思ったら嫌。好きだなと思ったら好き。それだけを伝えればいいさ。
そしたら相手はきっとこう聞いてくれる。

何が嫌だったの?
そして、何が好きなの?

自分の気持ちだけを正直に伝えて、相手と一緒に探す、もしくは作っていけばいい。
その関係性におけるルールみたいなもの。

相手が誰だろうとそれは変わらないんだ。
どんなに偉そうでも、どんなに年上でも、年下でも。どんな病気や障害を持っていたとしても。家族でも、友人でも。
人を人として接すること。
自分の中にある偏見も違和感も認めた上で、他人が自分と同じ尊厳を持っていることをどうかいつも忘れないで。