poetryとscientia(再掲:コメ欄を読んでもらいたいです) | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

『 詩 』とは、なんなのだろう?

自分が思うがままに書いている文章というか、
言葉の並びのことを『 詩 』だと言われると、
なんだか小っ恥ずかしくなります。

もしも息子がブログを書いていて、
しかも『 詩  』を綴っていたら、
私は腹が捩れるぐらい、
笑い倒すでしょう。
きっとそれは息子も同じです。
「あんた。何言っちゃってんの??」と
白い目で見られるか、もしくは
これはホントに
触れちゃいけないヤバさだ…と認識して、
母親の闇のような部分を垣間見たように
少しだけ彼の心に傷をつけてしまうかも
しれません。

まあ、身内というものは
そんなもんで、
近過ぎる距離は
毎日がリアリティー全開の
ドキュメントの中でしか
お互いに生きられなくなる。
誰の頭の中にもあるはずだけど、
誰にでもには言葉には出せない
空想や想像などの
お互いの知らない部分は、
身内に限っては
好奇心よりも不安を掻き立てるものです。
なんか、自分の知らない人が
近くにいた!みたいな気持ち悪さで
途端に居心地が悪くなる。



とは
語源のギリシア語では「創造,生産」を原義とし,一般用法としては「言語芸術の作品」を意味するが,詩を簡単に定義することは至難である。

「詩と科学」という対立も考えられる。かくして詩の定義は,「詩とは最高の順序に並べられた最高の言葉」から「詩は人生の批評」まで実に種々さまざまである。
ーコトバンクより

 『 詩 』は『 科学 』と対立しているとも考えられる。
   では、『 科学 』の定義とは?
  
科学とは
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。また、その成果としての体系的知識。

〈サイエンス〉とは本来ラテン語のscientiaで〈知識〉全般を指すことばである。

理性と想像力の所産,時間,空間,物質の世界や人間やその他の生物の身体などについての人間の知的征服,因果律のなかでの事象の生起を人間が見きわめようとする営み,人間の経験を公共的,客観的に整理し伝えようとする営み,宇宙の秩序と美しさへの信頼に立った職業的,専門的な知識追究の活動。
ーコトバンクより

 こうして比べてみると確かに
『 詩 』と『 科学 』は、
対極の位置にあるような気がします。
『 科学 』は、ひとつの事象について、
誰もが納得できるように
説明するための説明書のようなもので
あることに対して、
『 詩 』は、読み手がどのように
解釈するのかは、
自由であるものなのだと思いました。

詩的に生きている人と、
科学的に生きている人がいるのか、
それとも詩的に捉える人がいて、
科学的に捉える人がいるのか。
そもそも人というものは、
そんな簡単に分けられるものではないと
思いながらも、
人の脳における領域は
『 詩 』的な部分である感性と、
『 科学 』的な部分である思考に
分けられているように思えます。
それはどちらも相互に反応し合って
それぞれの個性を
作り出しているのだろうとも
思ったりもします。
そして、その二つの領域のバランスこそが
生きやすさのようなものを
決定づけているのではないかと
感じたりもします。

というか、『 詩 』にも『 科学 』にも、
実は相互にどちらの要素も
必要であるとも思います。
というのは、ある事柄を『 詩 』で
表現するためには言葉に変換する
という科学的領域が必要だし、
『 科学 』である事象を研究するためには
自分の好奇心という感性が
スタート地点である必要が
あると思うからです。

先日、言葉をまだ話せない赤ちゃんと
遊んだときに思ったのですが、
赤ちゃんを見ていると
人がまだ言葉を習得していない時代を
見ているような気持ちになったんです。

考えるということは言語であり、
感じるということは、
言語になるまえの感覚の
世界なのだなあと。

だとすると言語を習得してしまった
人類は、身体の感覚器だけで
感じていた快と不快を
言語により様々な事象に
意味を持たせるように
なってしまったことにより
さらにどちらも増幅させるように
なったのではないかと。

人は動物の中で唯一、遊べる生物なのだと
思います。
しかし遊べることにより
快を増幅させるようになった私たちは
遊べないことで苦しむことも
できるようになりました。

いや、そもそも。
言葉は私たちを共感という共通言語で
繋げると同時に
個を認識されて孤独を増幅させたのです。

『 詩 』と『 科学 』で、感性と思考を
分けてしまったように
様々な事柄を細分化させて、
私たちは複雑になった。

それをまた楽しむことも
苦しむことにも理由を探したり、
または意味付けしながら、
ただひとつ、差別しようもない
共通点に向かって
生きているんですよね。

死というゴールへの到達のような
スタートへの回帰のような
これまた解釈の違いによって
いくらでも意味付けできる
たったひとつの真実のために。

私たちは
『 科学 』に打ちのめされて、
『 詩 』に救われる。
また、逆も然り。