息子とはほぼ毎日ケンカをします。
原因はお互いの価値観の押し付け合いです。
例えばこの前は西野カナちゃんが活動休止するというニュースにどうでもいいとか、ホント、コイツ、うっすいわーとか呟いている息子に私がおまえは男として小さいわーと返したことからケンカが勃発しました。
特に彼女のトリセツという曲に息子はすごぶる苛立つらしく、こんな女キモい。こんな女、好きにならない。と言うので、大丈夫だ。向こうもおまえみたいな男をキモいと思ってる。眼中にすらない。と言いました。
おまえにはこのトリセツの中の女の子のすごさをわかっていない。彼氏に合わせるよりも、自分に合わせろ!と素直に言う女の方がよっぽどかわいい。しかも、広い心と深い愛で受け止めて!って言ってるんだぞ。彼氏の広い心と深い愛を私は知ってるんだって、彼氏のことをめちゃくちゃ褒めてるじゃん。そんで、男と女の違いをこの子自身がちゃんと理解してる。コイツはバカを装う賢い女だぞ。
まあ、恋愛経験の乏しい息子にそんな言葉が理解出来るはずもなく、というかすでに息子の男のプライドをズタボロにしている私が威張って言えることでもないのです。
↑発達障害というものは、一体なんだろうなと改めて毎回考えさせていただいております。
本文とあまり関係なくなってしまいましたがw、リブログありがとうございます<(_ _)>
しかし思います。
ケンカは価値観が多様にあることを知るための機会だと。自分の欠点のようなものをストレートに指摘されると確かに心が傷つくこともある。
だけどケンカの意義というものは、他人の無知や経験の乏しさを指摘し合うところにあるんじゃなくて、私とキミの違いを比べながら、多様な価値観があるからこそ、人は自身の世界を広げ、物事を俯瞰的に見られるようになるところにあるのだと思います。
自分と世界を比べることで、何度も他人に嫉妬して、自分の価値を見失う。その経験は苦しいけれどもその気持ちがあるから、人は自分の大切さを知ることができるのだと思うのです。
息子は自分のコンプレックスを隠すようにして、私の前では自分の嫌いを恥ずかしがることなく披露しております。
ちなみに姉の特性である空気の読めなさには、本当にイライラを爆発させて、理解できない!と叫びます。
認知の歪みは私と息子にもよく生じております。だからこそ、お互いの存在が必要なのでした。ケンカになったとき。私と息子の違いはよりくっきりとします。お互い、自分自身こそ正しいと思って一歩も譲れない。
息子は文句を言いながら、私にこう伝えているのだと思います。
オレにはまだわからない。
オレはまだオレ自身のことも、他人のこともわからないことだらけなんだ!と。
そのように脳内で勝手に変換すると、そうだよなあと不思議とイライラをイライラで返す頻度も少しは減ってきた気がするのです。息子が物に八つ当たりすることもなくなりました。
思い込みが激しいのは、否定されてきた経験が多いからなのか、それとも逆に叱られた経験がなさすぎたからなのか。
私の職場にもいらっしゃるのです。ミスを認める前に他人のあら捜しをして自分を守ってばかりの人が。
何にしても。私と息子がケンカができるのは、血の繋がりという絶対的な信頼感があるからなのですが、他人に対してはなかなかそうは行きません。それでも自分の中に他人に対する信頼できる要素を作って行くことはできる気がします。
それは自分は返しても、他人には見返りを求めない意識。
私をわかってよ!と言う前に、自分がわかろうとしているのかを振り返ることでもあります。
しかも、わかってもらいたいから、わかろうとしてるという無意識の要求さえ自分で気づいて、捨てなければなりません。
まあ、だけど。
本音を言えば、このトリセツに沿って、女の子をうまく扱える男はあんまり好きじゃないわ。
私がそう言うと息子は安心したように笑いました。
「男ってさ。やっぱり、不器用で無頓着なぐらいがいいよね!」
そうなんです。
未完成なモノはとてもとても美しい。
