破壊的なアイ | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

テレビ台の掃除をするときに引っかかって
時々プレステの配線を
誤って本体から外してしまうことが
あるのです。

テレビに向かってゲームを
していないときでも、
どうやらバックグラウンドで、
アップロードしていることが
あるらしく、
その最中で配線が外れてしまうと
最初からやり直さなければ
ならないみたいです。

一度目に怒られたのは、
私が出かけているときでした。
普段は余程の用事がない限り、
たいしてLINEなどよこさない
息子のくせに
その日の字面はえらい剣幕で
怒っているように見えました。

"今日、プレステ、触った??
線が外れてるんだけど!!!"

"触ってないけど、掃除はした。
 その時に外れたのかもしれない。
 すまん"

その時はこれで済んだのですけれど。
昨日、いつものように
プレステの電源を入れた息子が、
ダウンロードされているはずのものが、
終了していなかったので、
また私に怒ったわけです。

"また外れてるんだけど!!"

"あ、掃除のときかな。 
 けど、しょうがないじゃん!!
 配線がいちいち
 外れてないかなんて、
 自分のじゃないから確認しないんだもん!"

という言葉のやり取りが
次第にエスカレートしてきて、
とうとう息子は手が出たわけです。
とは言っても、私にではなく、
その辺にあったリモコンを
投げつける真似をするところで、
止めましたが。

なぜこんな些細なことで、
ここまで感情をぶつけ合うことになるのかと
いつも不思議なんですけれど、
それはやはり、私と息子が
互いに甘え合っているからなのです。

なぜリモコンをぶつけたくなるぐらい
腹が立ったのかと尋ねました。
すると息子は、やったことを
一回目で謝らないからだと
答えました。

確かにそうです。
私はなぜ自分が
息子のただの遊びの道具のことで
こんなことを言われなくては
ならないのかと
瞬間的に息子がぶつけてきた感情を
まっすぐに受け取って
言い訳したのです。
プレステよりも、私の掃除の方が
大事なことなのだと思っている。
でも本当はそうじゃない。
掃除はしなくてはいけないと
思うからしている。
私は自分がそのままだと不快だから
自分の意思で掃除をしているにも
関わらず、
心のどこかで、掃除もしないくせに
ゲームばっかりして、しかもその
くだらないゲームが
ダウンロードできなかっただけで、
ここまで怒られる筋合いはない。
と思っているのです。

自分の心の中で
考えを整理して、
息子に伝えます。

何が必要で、何が優先的なのかは
一旦、横に置いておく。

掃除のときに気付かなかったのは
確かに私が悪いから謝る。
だけど、私が掃除をすることは
私の勝手ではあるけれど、
その恩恵もおまえも受けてるはずだと
思っちゃうんだよ。
ママの気持ち。わかるか?
このまま掃除しなかったら、
ダウンロードどころか、
プレステがホコリだらけになって、
動かなくなるかもしれないってことも
あるんだよ?
なのにさ。
一度や二度、間違って
線が外れちゃっただけで、
ここまで怒りをぶつけられるって、
あんまりじゃないのかよ。

すると息子は
リモコンを投げつける勢いで
立ちすくんでいたひざを折り、
力なくソファーに腰を下ろしました。

ダウンロードするの、
時間かかるから、
切られてるともう一回、
やり直さなきゃいけないから、
つい、腹が立った。
ごめん。

たかがゲームと思うのは、
それをやっていない私の考えで、
それが他の人にとって、
どんなに意味がなく、くだらなくても、
今、息子にとっては
唯一の息抜きであり、
楽しみなのかもしれないのです。

ただそれとどういう距離感で、
どのぐらいの頻度で
付き合うのかが問題で、
その夢中が自分や家族との
関係性を壊すほどの
ものになるのなら、
少し、付き合い方を考え直す勇気も
必要なのだとは思いました。

息子のプレステ愛は、
そんなふうに時々、
自分の暴力性が我慢できなくなるほど
盲目的で、破壊的な感情に
形を変えてしまい、
一番近くにいる私は
それに無意識でも、意図的にでも、
時々巻き込まれてしまいます。

それでもケンカするたびに
思うのは、
自分は親だから偉いとか、
自分は大人だから正しいとか、
そう思うことはやめよう。
ということでした。

できたての感情をぶつけられると
その鮮度をまっすぐに味わいたくなって
自ら進んで熱を出している。
後になってそんなふうにも思って
なんだか笑えます。

だって、ケンカするということは、
私と息子が対等であることの
証なのです。
私は自分と20才以上も年が離れている
自分が生んで育てた命と
今、思考と感情のすべてを使って、
対等に向き合っている。

コイツに勝ちたい!
コイツを黙らせたい!
そう思う気持ちがお互いに
止まらないのです。

気持ちを落ち着けるために
カメラを持って出かけた
自然の風景の前で、
ふと冷静に思い返すと
いつもいつも自分のことが
おかしくなる。笑える。


こんなに広い草原で、
一箇所に集まって、競うように
エゾシカたちが草を食んでいる。

意図せずにぶつかった
隣のオスジカが邪魔なのか、
時々角を突き合って、
ケンカしてるようにみえる。

自分が夢中になってることを
邪魔されたらムカつくんだ。

そんな単純な理由を許せずに
自分の掃除の方が
高尚なんだと思う
固定化された私の考え、価値観。


自分の感じてる感情は
主観的な思考でできている。

わかり合いたいんじゃない。
自分の思い通りにしたいんだ。

自分の本心に気付いて、
自分の利己的な思考を受け入れたときに
隣の人のわがままは、
愛おしく思えるだろうか。

感情をぶつけ過ぎて、
自らを破壊するまえに、
そんなことを考えられる
余裕を持っていたい。