強くなる | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

強くなるということは
誰かに勝つことではなく、
痛みに鈍感になることでもないと思う。

強くなるということは
あらゆる事柄を赦せるということ
なのだと思った。

私は他人に対して
好きと嫌いの感情を持ってしまうけれど、
善と悪で人を決めつけることは
できない。
善と悪を決めつけた瞬間に
私は人ではなくなる。
私は欲望に生かされている。
美味しいものを食べたくなり、
知らないことを知りたくなり、
性行為を通じて、
自分と相手がお互いに
唯一の存在だと確かめたくなる。

それらはすべて、欲望である。
お腹を満たすことも
知りたいと思うことも
身体を通して愛を欲しがることも
本当はどれも優劣をつけることのできない
人間の欲望なのだ。

もし今この瞬間に
大災害が起きて、
お金の価値がなくなり、
インフラがすべて機能しなくなり、
警察に頼ることも
できなくなってしまったら。
法律という社会のルールは
無意味で無価値になる。

そこで人が剥き出しにするものは
動物としての本能になるだろう。
本当に自分の命の危機に瀕したとき。
集団で助け合うことよりも、
己(または自分に近いものたち)の
生存を優先してしまうことを
私は完全に否定することができない。


私は無宗教だから、
神様を信じる文化というものを
よくわからない。

お盆やお彼岸にはお墓参りに
行くけれど、
それは何のためなのか、
いまだにちっともわからない。

神様というものは、
なんでも許してくれるとか、
創造主だとか、罰を与えるとか、
いろいろ読んだけど、
私が思う神様は
いつも透明な存在だ。

それはいないということでもあるけど、
自分の存在を自覚したときに
生まれるものだとも考えた。

神様は私そのものであり、
私がいなくなると
同時に消えてしまうものだとも思う。

動物たちをじっと眺める。
虫も、ワシも、鳥も、草さえも、
もしかしたら、水も土も空気も
言葉を持たない意識というものを
持つのかもしれない。

そう考えてみると
人とそれらの違いというものは
あるがままで生きる以上のものを
求めることなんだと思った。

それはつまり、知りたがる。
ということだ。

自分の価値や自分の未来、
そんなものを知りたいと思う欲望が
すべての争いの原因である
気がした。

私は自分がとても大切で、
自分勝手で、わがままなのだ。

人に嫌われたくなくて、
自分を理解して欲しくて、
自分の好きな人に
いつでも好かれていたい。

知らないことを知りたくて、
食べたいものを食べたくて、
身も心も気持ちよくなりたい。

自分の中にある欲望を
本気で認めたときに
他人の中にもそれが
同じようにあることを知る。

強くなるということは
自分の弱さと欲望を
自覚することだった。
それをいつも認められれば、
怒りや悲しみの感情で
他人や自分を傷つけてしまう
頻度も減るような気がした。

みんな自分が大切なのだ。
だからそうしてしまう人を
私は裁くことができない。
それでもあなたが自分を大切なように
私も自分が大切なんだと
伝えることはできるような
気がした。

人を通して自分を見る。
その積み重ねが、
自分を客観的に見ることの
基礎であるのだろう。

小さくぶつかり合いながら、
人は大きな戦争を回避する術を知る。
人と関わることでしか
わからないことがあるのも
確かだった。

私の中には私が作った
神様がいる。

神様はいつも
私に正しいか間違っているかを
問いかけることはない。

私のあるがままを見つめるだけの
もう一人の自分なのだった。