はぐれそうな天使 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。







友達と行ったいつもの近所の飲み屋で
やっぱりいつものように
ひたすら歌っていた。

そこに数人の常連客の若い女の子と
おじさんたちが入ってくる。

友達は途端に怪訝な顔をする。
また来たよ…と言って。

その中の一人のおじさんが、
私の隣に座って距離をつめてくる。
酔っ払っているから、
いつもの威厳がない。

当たり障りのない話をしながら、
機嫌よく相槌を打っていると、
おじさんの目線が胸元に
張り付いてくるのに気付いた。

そのことに慌てるほど子供じゃないし、
あからさまに不機嫌になるほど、
自意識過剰じゃない。
そしていつ手を伸ばそうかと
そわそわしている態度に
気付かないほど鈍感じゃない。

奥のボックス席では、
若い女の子の媚びたような声や
おじさんたちの甘えた声が
聞こえてくる。
右にはそのことに
どんどん不機嫌になる友人。
左には肩が触れ合う距離にまで、
椅子を移動させてくるおじさん。

カラオケの音に負けないように
どんどん大きくなる
それぞれの話し声を聞きながら、
私とママだけがいつもシラフだ。

お酒で我をなくすほど
酔っ払うことのない私は、
いつもそれを呆れながらも
少し羨ましい気持ちで眺める。

お酒が弱い。
理性がきかなくなり、
羞恥をなくしそうになる手前で
いつも頭が痛くなり、
吐き気に襲われてしまうのだった。

マイクを持って、
集中して歌っているうちに
不意をつかれた。
左のおじさんが
私の無視と愛想の良さの
境界線のバリアを酔いに任せて、
突き破ってきたのだ。

人差し指が私の左胸の先端に
その一瞬の隙をついて触れた。

私は内心びっくりしたけれど、
笑いながらも軽く一瞥をくれて、
さらに歌う声に心を込める。

相手にされないと
気付いたおじさんは
無言で若い女の子がいる
ボックス席に戻る。

別に胸のひとつやふたつ。
つつかれようが揉まれようが
本当は構わない。
そのことでそのおじさんを
軽蔑するわけでもないし、
だからって自分がまだ
異性として見られることに
安堵を覚えるわけでもない。

右隣の友人がそのおじさんたちではなくて、
おじさんたちにちやほやされる
若い女の子に対して、
「そういうところじゃなくない?」
としきりに怒っているのが、
おもしろかった。

風紀が乱れるんだって。
飲み屋に風紀もなにもないじゃないか。
と私は心で笑う。
みんな日頃の押さえつけている自分を
忘れるようにお酒を飲んでいる。

酔っ払っている。という
大義名分で、
犯罪にならないギリギリの
自分の中の節度を守って、
恋愛ごっこような気分を
味わっているのかもしれないな。
とも思った。

けれどもキャバクラのような
プロの女の子では
どこか楽しくないのだろう。
その女の子とおじさんは
共犯者なのだと思った。
女の子たちはおじさんたちを
気分よくさせて、
今夜の飲み代を浮かせようと
しているのだった。

私はそんな女じゃない。
友人がそう言ってるみたいで
私はそれもまた
かわいいと思う。

私は友人が不機嫌になった
様々なこじつけのような
言い訳のような理由を聞きながら、
同意するでも、批判するでもなく、
次の選曲に夢中になる。

不意に流れた有線の曲に
ハッとなった。

小さい頃から
頭の中で時々流れていた曲だった。
その曲の名前も歌ってる人も
思い出せないまま
何十年も経っていた。

これ!これ!何の、誰の曲??
カウンター越しにママに尋ねると
教えてくれた。

古い曲が時々とても恋しくなる。
そのときの楽しかったことや
辛かったことを
思い出そうとして
胸がぎゅっとなる瞬間に
心を酔わせたいがために。

ノスタルジックな気持ちは
甘く、苦く、せつない。
それを味わうツールのひとつに
音楽があるように思える。

もう戻れない時間を
たった今、
この瞬間を生きている。

そのことだけがみんな
同じなんだと思う。