感情と言葉 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

私の職場では、
私以外の人達は
毎年人事異動があるのですが、
どんなに人が変わっても、
人間関係がスムーズに行くという
メンバーになることはないなと
思うんです。

効率良く仕事ができる人、できない人。
自分中心に物事を考える人や、
反対に他人の目を気にし過ぎる人。
正義感に溢れる人もいれば、
自分より立場が上の人の
言うことしか聞かない人。

職場の雰囲気は、
部署のトップの人柄で
随分と様変わりします。

だからその人が何を一番
大事にしているかで、
その年の職員間の
トラブルの量は
随分と左右されてしまうなあと
いつも思います。

人が働くことは、
社会で生きて行く上で、
義務として課せられていますが、
その究極の目的は、
お金を頂くことだと思います。

自分が食糧を買ったり、
生活する上で必要な基盤のためには
お金が必要です。

会社は、会社の儲けのために
労働力を必要とします。
会社にとってより多くの利益を
もたらすことの出来る人に
普通は高い賃金を払います。

しかしその基準が、
数字だけであったり、
また年齢の高さであったり、
雇用時の条件だったりして、
誰もが同じように納得できる
報酬を得ているか?と言えば、
そうではありません。

若いときには私は少しでも、
自分が得をしたいと
心のどこかで思っていました。
それは今でもそうなのですが、
職場で同僚や部下の愚痴を聞いていても、
その不満の原因は結局は
そこにあるのだといつも思います。

自分が一生懸命やってることを
認めてもらえない。
あの人はこんなに勝手なことをしてるのに
私よりも休みをもらえたり、
賃金も多い。

私はそうだよなあ。
私もそう思うよ。
と気持ちでは
激しく同意するときもあれば、
それはおまえが勝手だろう。
と心で反論することもあります。

話してる本人も
よく考えもせずに
そのときの感情に任せて
言葉を発しているときも
あるだろうから、
私は自分とは違うと思っても、
言葉に出すことは
一旦、我慢することを心がけます。

それは職場の人との関係は
ビジネスだからです。
そして、ビジネス上の関係だと
思うからこそ、
根底には人に対する誠実さを
意識しなければならないとも
思います。

親しい関係であるならば、
互いに好意があるという
信頼のもとに
世間の正しさなんて除外して、
相手に感情を顕にすることもできる。

けれどもその信頼というものは、
ビジネスの上ではどうしても、
行動の積み重ねの上でしか、
築くことができないような
気がするのです。
それは、その人のプライベートにまで
立ち入ることができないからです。
好きと嫌いでは成り立たないのが、
ビジネスです。

親しい間柄の上でも
お互いに気持ちの距離が
近くなり過ぎると
相手に甘え過ぎてしまい、
感情をぶつけ過ぎたり、
逆に言葉に
出さな過ぎたりしてしまうことで、
一気に信頼を崩してしまうことがあります。

そんなとき。
人は根本的に他力本願なんだな。
と思ったりもします。
自分の心や考え方は、
悲しいけれど、
自分にしかわからないからです。

そのことが
どうしようもない孤独を
感じさせ、
虚しさを呼び起こしたりする。

それでも思います。
人が耳で音を聞いて、
口で言葉を発するようになったのは。

というか、言語というものを
生み出したわけは。

人が一人では生きていけないことを
知能を持って、理解したからだと。

みんな自分を理解して欲しい。
自分は他人と繋がっていたいという
欲望だけが同じだと思いました。

その表現方法や頻度が違うだけで、
一人が楽しいと言い切る私だって、
それは一人が楽しいとき"も"
あるだけなんだと思います。

だから言葉の意味を
理解するんじゃなくて、
その向こう側にある気持ちを
想像しようって思います。

そこに矛盾やずるさを見つけて、
悲しくなったり、
怒りが湧いてくるときも
あるけれど。

それを自分自身で受け止めたり、
それを受け止めて欲しいと
自分の好きな人に
言葉に出してみたりする。

好きな人が受け止めてくれなかったら、
その人の心の状態を
理解する努力も必要だし、
自分が苦しいと思ったら、
思い切って、距離を取ることも
必要なんだと思います。

人との関係は
それぞれのタイミングや
心の成長具合で
変化するものだと
思うからです。

そう考えると、
言葉の種類なんて、
多くなくたっていいのかもしれない。

自分の感情の種類を表す言葉を
持っていれば。
いえ。
自分の感じた感情に
心で素直になることができれば。