Wait&See | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

待つのは得意じゃないけど

決めつけるのは早すぎるんだ



今さら、娘が凝ってるwww


去年の夏。
旅行先であるニセコで、
息子とキャニオニングってやつを体験した。

ニセコは外人さんが
冬のアクティビティのために滞在することで
最近急激に発展してきている街。

オシャレなカフェやショップが、
自然溢れる風景に溶け込んでいる。
まるでそこは、日本じゃないような光景で
とても不思議な感覚だった。

キャニオニングは、
ウェットスーツを着て、
身体ひとつで
渓谷を滑って下るというスポーツだ。

夏だったけど、川の温度は冷たくて、
それでも緑の風景や青い空を
真上に眺めながら、
清流に身を任せているのは、
とても気持ちがよかった。

思ったよりもスリリングではなくて、
たいしたことないな。
そう思っているところで、
最後にたどり着いたのは、
落差5メートルの滝壺だった。

シンガポール人のガイドが
片言の日本語で告げる。
ココヲヒトリズツトビオリテモライマス。

5メートルというと、
民家の二階ぐらいの高さだそうだ。
そう聞くとたいしたことないようにも
思えたけれど、
崖の上から滝壺を見下ろすと
とんでもなく高く見えた。

それでもこれを飛び降りないと
ここまで来た意味がない気がした。
泳ぐのはそんなに得意じゃないけど、
ジェットコースターは嫌いじゃない。

右足を軸にして、
左足で地面を蹴った。
身体を空に向かって
斜め上に投げ出すように
跳ぶ。

頂点で一瞬止まったあと、
身体は急降下した。
心臓が、
脳みそが、
空に置いていかれる。

底がないような水の中に
身体が全部沈むと、
どこが上なのか下なのか、
まったくわからなくなった。

怖い。この感情が心を支配する。

水に入ったら、
まずは、力を抜いて。

さっき言ってたガイドの言葉を
頭で繰り返した。

そうしていたら身体は
自然に水面に浮上した。

空から見下ろせば、
アメンボみたいな格好をした
私の身体が
深い青の上にバカみたいに
ぽっかりと
浮かんでいるのが見えただろう。

遊んでいるんだ。
心を震わせて。

川の流れに身を任せているような日常。
まるで時間に背中を押されて、
急かされながら、
流されているようだ。

広大な風景の中で、
自分がその一部に過ぎないことは
人の中でも同じだった。

自分の意識を他者に投影しながら、
人は自分を認識している。

そこで揺らされる感情に溺れては、
それを様々な形に変化させて、
生きてることを実感しているだけ。

手に入れた途端に
本当に欲しいものは
こんなんだったのかな。って、
虚しくなったりもした。
そのために誰かを
傷つけたような気になって、
それでも自分も傷ついたんだからと
罪悪感を払拭してみたりもした。

やさしさや思いやり。
そんな目に見えないものが
大事だって大人は口では言ってるくせに
目に見えることが信頼の証だって、
社会がいつも言ってる。

矛盾だらけなんだよ。
それでも影があるから光があるんだと
いつも言ってるのは、キミだ。

きっとキミと私はずっと
互いに闘ってきた。
言葉という道具を駆使しながら。

それは、どっちが先に
自分という不安定な乗り物を
自由自在に乗りこなせるようになるかって、
そんな競走みたいな遊び。

自分が誰かにできることなんて
本当は何もなかった。
自分の経験はやっぱり自分だけの
ものだったから。

あの川でキャニオニングをした日。
雨が降らないかって、
少し不安だった。

それでもどうせ濡れるのは
同じなんだからって。
中止になったとしても、
違う遊びを見つければいいじゃないの。
と。

キミは随分と変わったよ。
自分も他人も受け止めることが
とても上手くなったじゃないか。
それは、私も、そう。

それでもリアルの世界では、
小さなことで感情を揺らされ続けてる。
でも、それに抗わなくなったってだけで、
随分と成長したもんだね。

明るい場所に
ただ連れ出したかったんだ。

闇に囚われて、
自分を責めてばかりの日々は
もう終わったんだろ?

今日も誰かが、
私たちを見下ろしている。

おまえらは
いつになったら、
ここに来るんだろうな。って、
高い場所から
この広くも狭い地図を眺めながら、
鼻で笑ってるんだ。

どうでもいいが、クサいんだよ。
う〇こ。
置いてきます。
そう言って、見渡しながら、
遊んでやがる。


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おんなじところばっかり、
グルグルとしやがって。
つまんない。ってさ。www