怒りという悲しみ | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。





最近になって。
夫が娘に対して、
やたらと説教してみたり、
かと思えば、長々と
自分の体験や考えを
話したりするようになったのです。

もうすぐ家を離れる娘に
自分なりに与えられる何かを
必死で伝えようとしているのでしょうか。

しかし娘は、虫の居所が悪い時は、
は?とバカにするように返事をして、
夫を怒らせています。

なので夫がいない隙に
私は娘にこう言いました。
パパはなんとかあんたの
悩みや迷いに
答えを出すきっかけをあげたいと
思ってるんだよ。
あんたが心配で大好きだからこそ、
押し付けがましくなるんだ。
もちろん違うと思ったら、
違う!って言ってもいいし、
ケンカしても無視しても、
それはそれであんたたちのことだから、
ママは別にいいんだけどさ。
ママとしては、パパの気持ちも少しは
あんたにわかって欲しいな。
って思うんだよ。

夫には、
○○は答えが欲しいんじゃなくて、
ただ話を聞いて欲しいだけのときも
あるんだと思う。
これは女の感じ方のせいでも
あるんだと思うんだよ。
男は効率的に作業をする場面を
仕事でも求められるから、
自分ならこうする。ってことを
教えてあげたい気持ちもわかる。
○○も女だからね…
自分では答えをわかっていても、
気持ちが追いつかないときが
あると思うんだよ。
あんたにとっては
不快な反応かもしれないけど、
わかってやってね。

話せば話すほどに
理解し合えない考えや気持ちは
お互い、怒りとなって
ぶつけ合ってしまいます。

それを人はケンカと
呼ぶのでしょうか。

怒りというものは、
理解し合えないときの
悲しみを隠す感情でもあると
私は思うのです。

人は怒りよりも、
悲しみという感情を
持っている方が辛い気がします。

悲しみというものは、
自分の無力感を際立たせて、
増幅させると自己の否定に
なるような気がします。

自分のことは自分しか
結局わからず、
だからこそ、共感してもらえたときは
孤独が癒されたような気がして、
その人にもっと理解して欲しい。
という気持ちが大きくなる。

だから心が近くなればなるほど、
私はその人に依存してしまいそうで、
いつも怖いと思います。

人との心の距離を縮めることは
同時に相手との違いを知ることになる。

それは最初から違うと思って
接してきた人よりも、
自分が傷つけられる可能性を
たくさん持っているような
気もしました。

人を好きになることは
とても怖い。

友達が欲しいけど、
できない。

そう口にする娘は、
その人と距離を縮める怖さを
潜在的に知っているからなのかもしれない。
そんなふうにも思います。

けれどもこう言いたい。
人を好きになることを
怖がらないで。と。

お互いが同じ分量で
お互いに興味を持てる時間が
例え短かったとしても。

人にたくさんの出会いのチャンスが
訪れる分だけ、
別れというものも同じだけある。

それが悲しい時は、
悲しいんだな。と
心で呟けばいい。

感情を否定せず、
怒りに変換して、
誰かを傷つける方法で
自分を守らないで。

怒るよりも私は悲しいんだと。
そう伝えてもいい。
素直な心が人と人を繋げる。

人は孤独だけど、
寂しい生き物じゃない。
心を伝えるために
言葉があるんだと思うから。

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