他者の存在を認識し、
自分の要求を満たしてもらうことによって、
人への信頼感を育むのだという。
それはやがて、
人の気持ちを共感する能力となり、
心を通じ合わせる喜びとなるのだそうだ。
一方。
アスペルガー症候群と呼ばれる方たちには
その共感力が薄いのだという。
だから、人が傷つくようなことを
平気で言ったりして、
他者との良好な関係を築くことに
失敗したりする。
娘はアスペルガー症候群の疑いがあるのだと
小学校低学年のときに言われて、
検査をしたのだが、
結局はグレーゾーンという診断だった。
しかし、当時の発達障害を担当していた
先生は娘に放課後、
ほんの数回だけ、スキルトレーニングと
称したものを施した。
それは、落語のCDを聴かせたり、
迷路をさせたり、道徳っぽい話の物語を
読ませることだった。
娘は言語能力の理解だけは著しく良かった。
しかし、先を読まなければいけない迷路は
苦手だった。
その数回のスキルトレーニングを
終えて、その先生は私に
やはり娘さんは迷路が苦手で、
落語も笑うべきところで笑わない。
つまり、娘のできないところを
私に認めさせて、
どうにか授業を別で受けさせて、
専任の先生をつかせたかったらしい。
しかし歩き回って
授業の妨害をするわけでもなく、
テストの点数も良かった娘は、
専門の検査の先生から、
特別な配慮は必要ないと言われていた。
だから、私はその先生の意図がまったく
わからなかった。
私の娘が先生方の手を煩わせているのだな…
ただそう思って、申し訳ないやら、
自分の子育てスキルの低さを責めるやらで、
娘よりももっと問題がありそうな
子供だっているじゃないか!
と他人の子供を心の中で引き合いに
出して恨んでみたりして、
あの頃は、全く娘の将来に
希望が持てなかった。
娘が先日。
希望の学校に合格した。
喜んだのも束の間で、
私は心の中に漠然と
自分から離れて、
一人暮らしをはじめる娘が
少し心配で不安になっている。
娘は、料理を進んでしたり、
生活費はどこにいくらぐらいかかるのかと
聞いてきたり、
不安になりながらも、
前を向いているというのに。
私は都会に行ったら、
変なキャッチセールスに引っかかるな!とか、
ナンパや誘拐に気をつけろ!とか、
ついつい言ってしまう。
人を信用しろと言っているそばから、
他人を疑え!と矛盾したことを
言ってることに気付いて、
自分の言動の曖昧さに
情けなくもなるのだが。
こんなことを先日聞いた。
ある娘さんが、
自分の命を自分で断つまでの話。
彼女はとても優しい子だったのだが、
職場で上司に無理やり関係を迫られたり、
同僚に僻まれたりして、
精神を病んだのだという。
その親はとても厳しくしてきて、
だから娘はなんに対しても責任感が
強かった。
娘は自分の弱さを誰にも言えずに
自分を傷つけたのだと泣いていた。
人の本性は、みんな自分が
幸せになりたいと思い、
そのために他者を思いやる心が、
誰にでも本当はあるのだと
私は信じていたい。
しかし人は自分の環境の中で
愛を見い出せない生活を強いられると
他者を傷つけることで、
自分の存在価値を確かめるように
なることもたくさんあるのだった。
娘は親から見てもやさしい子だと思う。
自分がいやなことをされても、
それを誰かにしようとしたことは
ない…と思う。
いや。
全てを見ていないからわからないのだが。
小さい頃、私はケンカをさせないようにと
人を傷つけることのないようにと
人に迷惑をかけないようにと
娘に対してとてもうるさかった。
そのことが今、少しの後悔として、
心に残る。
娘がぶつかるべき、
他者との軋轢という経験の機会を
私が事前に奪ってしまったのではないか
という後悔だ。
しかし思い返すと、
娘はそんなに他者とぶつかっていないのか
といえば、ひとつだけ
その経験があった。
それは恋愛だ。
娘は今になって、付き合ってきた
二人の男の子に対して、
実は恋心を抱いていなかった。
というのだが、
娘が彼らを振った経緯は、
彼女自身の芯の強さを目の当たりに
するような出来事でもあった。
自分が好きではない。
そう心で認識した瞬間に
すぐに付き合いを解消した。
どんな泣き落としにも屈しなかった。
そればかりが、相手のどこが
いやだったのかを
やんわりと伝えてさえいたようだ。
自分の気持ちと考えを
ちゃんと言えるようになっていたんだ…
自分に何が必要で、
何が必要じゃないかを
ちゃんと見極められるようにも
なっているんだ。とも思った。
私は彼らがいい子たちだと思っていたので、
娘は冷たいなあ…と思ってもいたのだが、
自分が一緒にいても楽しくない相手と
ズルズルと付き合うことは、
その相手にとっても不幸なのだ。
娘が彼らの気持ちをそこまで
慮っていたとは思えないが、
その選択は間違ってはいない。
そうも思う。
しかし娘は彼らと今では普通に
話したりできて、友達なんだという。
気が弱いわけじゃ、ないんだな…
人に嫌がらせをしないにしても、
自分の嫌なことは嫌だと
ちゃんと言える。
変な同情は自分にも人のためにもならない。
そのことをきっとわかっているんだと
私は信じている。
人の心を想像するのが苦手でも、
その過程を誰かが知識として教えていけば、
人間関係を円滑にしていけるような
気がしていた。
迷路は、娘にとって、
ただの机上のクイズであり、
落語に笑えなかったのは、
単に娘の笑いのセンスと
合わなかっただけだ。
その先生には
ふざけんなよ!と思う気持ちの反面、
ありがとうと同時に思う。
娘が何を苦手としたのか、
数字や表で現してくれたことは、
私の彼女への理解の材料の
ひとつにもなり得たからなのだ。
枠になんてはまるなよ。
他者の言動や行動に振り回されることが
あっても、
決して自分自身を否定しちゃいけない。
いつでも自分をまずは大事にするんだ。
それは他人を傷つけることの中にはなく、
毅然とした自分の意見を
外に訴えてきたその経験の中にある。
私は無条件に娘を愛してきたのだろうか。
きっとそうだったと信じたい。