アダルトチルドレン | 想像と創造の毎日

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私の子供たちはもうさほど手がかからなくて、むしろ、親になど構われたくない、ウザい!という年頃になってしまい、
私は寂しい反面、自分の好きなことを
好きなようにできるようになってきて、楽だと思う。

子供を生みたい。と心から思うことなどなかったのに、流されるように親になってしまい、
はじめはちゃんと愛せるのか、人間として私はこの子達を育てていけるのか、たまらなく不安だったり、
ここに来るまでも、自分の親としての能力のなさや人としての無知さに、何度も落ち込んだりもした。

という記事を見つけて、自分の親や自分自身、
そして身の回りの人達に当て嵌めて考えたりした。

ーアダルトチルドレンは元々、アルコール依存症の両親の下で育てられ成人した人たちを指していた。現在では、『機能不全家族の環境で育った大人たち』という定義に変わっている。彼らは機能していない家族システムに適応することで何とか子供時代を生き延びるものの、思春期を過ぎてから感情や行動の面で障害を発症する傾向があるのだ。やがてそのような特徴は、酒害家庭に育った子供以外にも見られることが発見され、アルコホリックの家庭以外のケースもアダルトチルドレンと呼ぶようになった。

 機能不全家族とは、家族がお互いに思いやりを持って助け合うという『正常な家庭の機能』が損なわれている家庭を指す。ー

記事では、無償の愛というものを家庭でもらえなかった子供がアダルトチルドレンとなるのだと書かれている。

そしてアダルトチルドレンが問題なのは、自己肯定感を持てずにストレスを増大させて、自殺や自傷行為をすることだけではなく、それがいずれ他者を傷つける行為に繋がっていく。ということだという。

確かに。大きくも小さくも迷惑行為を繰り返す人達は、みな共通点があると私は思った。

それは、その人達が他者との関係性で重要視しているのが、他人と自分の利益のバランスだということだと私は思っていた。

つまり、自分が誰かにしたことと自分がしてもらうことが常に同じ分量でなければ気が済まない人達のこと。

人間関係をまるで対価をもらう仕事と同じように考えているようにも思えた。

例えば、こないだこんな光景を見かけた。

兄弟が違うおやつをそれぞれ持っていて、弟が兄のおやつを勝手に取ろうとした。兄はだめ!自分のがあるでしょ!と叫ぶ。弟はオレは、そのお菓子、持ってないから欲しい!という。

その子たちの親は、交換しなさい。と叱ったのだが、兄は弟の持つおやつの中で、その弟が一番あげたくないおやつを取ろうとしてまたケンカになっていた。

親は、交換するのがあたりまえでしょ!と言って、自分が1個あげたら、相手からも一個もらうのがきまりなんだよ。みたいなことを言っていた。

私はその様子を黙って見ていたけど、どうしてか違和感を感じてしまったのだ。

なぜ、この兄弟はこんなにおやつに執着するのかとか、交換するのがあたりまえなのか?とか考えて、自分ならどうしていたかなあ…と思い返した。

まず兄にはどうしてもあげられないと思うのならあげなくていい。と言うかな。

でもそうでもないなら、気持ちよくあげたら?と言う。代わりに何かをもらいなさい。とは言わない。

欲しがる方も、だめだと言われたら諦めろ。と言うか。

まあけど、放っておくかな。手を出す寸前まで。

交換するのがあたりまえ。という概念にとにかく違和感を感じてしまう。少しでも自分が損をしないようにと思う気持ちが真っ先に来るような考え方はあまり好きじゃなかった。というよりも。モノにそんなに執着させたくない。という気持ちの方が大きい気がする。

自分がもらう。という行為に感謝できて、それが誰かに返したい。と自然に思える気持ちになることが理想だった。それは、言って聞かせることではなく、自分自身が普段からそのように人や物事に対して向き合っていなければ伝わらないことだとも思った。

ギブ・アンド・テイクやウィン・ウィンの関係は対価が発生する仕事だけの概念で、いや。仕事でさえも基本は相手や取引先の幸せを本気で願える心が伝わることでしか成功はありえないような気がするのだ。

私は自分の子供たちをアダルトチルドレンにさせていないだろうか…今でも時々不安になる。

家族というものは、温かく安らげる場所だとまったく意識してこなかったし、むしろ家庭はどんなに身勝手であっても、それを隠さずそのたびにぶつかり合い、時には逃げ出して、さまよう。そんなサバイバルな場所にしてしまったような気もする。

家庭が一番だとは思っていないし、むしろ居心地が悪いぐらいが自立を促すにはちょうどいいのでは?と思ったりもする。けど、ひとつだけ間違いなく言えることは、私が自分の子供を、家族をおもしろい!と思える視点を大事にしていることだ。

おもしろい!だけが、いつも私の正解なのだった。しかしそのおもしろい!で他人を傷つけることがあってはならないことがあることも事実であり、私はいまだにそこで迷走している。

無償の愛とは、対価を期待しない。考えない思考のことを言うのだろう。しかし言葉の意味を認識していても、それを行動に移せることは至難の技でもある。資本主義の社会で生きているから尚更だ。

それでも私は信じている。自分が無償の愛を理解し、それを行動に移せる人間にいつかなれることを。

そんな私の姿を見て、誰かがそれを自然と真似してくれたらこんなに幸せなことはない。

無償の愛は取り引きや自己犠牲では決してないのだ。そのことをいつも胸のど真ん中に置けるように日々、思考の癖を見直しているのであった。

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↑野生動物こそ、無償の愛を知ってる?(*´罒`*)