慣性の法則 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

ーGo to the start .

の合図で、息を止める。

ーReady…

どこに飛び出していくのか、
イメージをする。

ーGo!

の代わりのピストル音と同時に
片足を蹴りだす。

熟練者ならば、
そのスタートでその競技の行方が
すべて決まることを悟る瞬間なのだろう。



1周400mのトラック。
丁寧に研がれたブレードに身体を預け、
定められた距離を周回する。
500mならば、たった1分以内の競技。

単純なスポーツ。
しかし、実はとても奥が深く、
謎につつまれている。
それが、スピードスケートという競技だ。

うちの子供たちが一時期、
スピードスケートをやっていた。
最近のスピードスケートは
とにかくお金がかかる。

まず、スケート靴の仕様が、
私の子供の頃とはまったく変化してしまい、
すごぶる高価になったのだ。

従来までは靴とブレードを
2点で固定していたものが、
踵の部分が外れるようになり、
これにより、外に蹴り出したときに
ブレードの接地面が
氷上に長く留まることができ、
一歩の距離が飛躍的に長く進むようになった。

長野オリンピックの頃には、
ほぼすべての選手がこれを
使用するようになったのだという。

靴とブレードは、別々に購入することになり、
安くても合わせて10万円以上はした。

たかだか、4ヵ月しかない練習期間に
大会の遠征費用を含めると相当な出費だった。

だからこそ、親の熱が入るのも致し方ない。
我が家も例外なく、子供のレースタイムを
たった一秒縮めることに躍起になった。

オタク気質は私は、
スピードスケートのことを調べまくった。
もちろん、子供にはコーチでもないので、
あまりあれこれ言わないでいたつもりなのだが、
あのスタートの合図を聞くたびに、
同じように心臓を高鳴らせていたし、
ゴールのタイムが自己新だったときは、
ひと目をはばからずに号泣した。
それは、一緒に見守ってきた他の親たちも
同じだった。
仲間たちの活躍を自分の子供と同じように
泣いて喜び、そして負けに悔しがった。

振り返れば、冬のあの4ヶ月は、
親にとっても休みのない
過酷な日々だったのたが、
悔しさと虚しさ。
それと同じぐらいの感動を
子供たちが私たち大人にもたらしてくれた、
貴重な体験だったと感じる。

スピードスケートの世界でも、
やはり才能なんだろうな…と
感じる場面はたくさんあった。

何年かに一人は、
他の誰の追随も許さないような
次々に記録を塗り替えていく、
ヒーローのような選手が現れる。

その子の滑りは、
私のような素人が見ただけでも、
他の子とは全然違うとわかった。

スタートの冷静な佇まい、
低い姿勢を保ったままで、
一定のリズムを刻む足さばき。
何より。スラップのブレードが、
靴に戻る時の音だけが響く、
滑らかで静かな滑りなのだ。
氷とブレードの摩擦を最小限に抑えて、
自分の身体の重みのすべてをブレードに
伝わるようにするような
無駄のないフォーム。
観客の誰もが、彼の滑りに魅入る。
ゴールした瞬間は、歓声よりも感嘆のため息。

自分の前を誰にも走らせない彼は
それでも、ゴールしたときには
毎回はしゃぐことなく、
少し首を傾けながら、腰を上げた。
彼は自分自身の記録といつも戦っていたのだ。

私の子供は闘争心がなかった。
込み入ったスタートラインでは、
飛び出した瞬間に
隣の人の刃が、自分にぶつかったり、
また、逆も有り得る。
私も二度ほど見たのだが、
隣の人が蹴り出した刃が太ももにぶつかると
簡単に血が吹き出すぐらいの怪我になる。
それを目前で目にした我が子は、
それがしばらくの間、トラウマだったのだ。

目に見える結果を残すことができないまま
引退してしまった我が子だけれども、
忍耐力だけはついたな。と思う。
マイナス20度の早朝や夜間の練習で、
耳は凍傷になる寸前でも、
リンクを毎日周り続けた。
そのことは、
彼の見えない自信にもなっているんだと感じる。
監督やコーチの罵声に悔し泣きしたことも、
学校の授業だけでは体験できなかったような
出来事だ。
それは彼にとってはじめて味わった
理不尽というものでもあったと思う。

勝つために、やってる。
勝たなきゃ、意味がない。

そう言われ続け、私は我が子が
辛さや痛さや悔しさや虚しさの中にいるのが、
時々見ていられなかった。
けれども一度も休みたい。と言わなかったのは、
彼のたったひとつの
譲れないプライドだったんだろうな。

最後のレースは今でも忘れない。
思うような結果が残せなくて、
氷の上でガックリと肩を落とす。
だけど、もらったものはとてつもなく
デカかったんだろう。
観客席に戻ってきたときの彼の表情は
充実感に満ちていたようにも見えた。

昨日ふと、慣性の法則というサイトに
偶然辿り着いた。

ー止まっている物体に、力を加えなければ、そのまま止まり続けます。動き続けている物体に、力を加えなければ、そのまま動き続けます。ー

スピードスケートも
まさにそれを利用したスポーツで、
自分の体重をいかに抵抗なくブレードに
伝え続けてスピードを維持することが
できるか。
その技術の習得こそが、勝敗を左右する。
道具も筋力も体力もそれに付随したものに
過ぎなかったのか…とも思った。

きっと、なんでもそうなのだろう。
外部からなんらかの力を加えられて、
もしくは自発的な瞬発力で、
物事は動き出していく。

様々な力を働かせて、
人生は動いたり、止まったりする。

しかし…
スピードスケートの
スピードが出る仕組みのことも
実は完璧に解明されてはいないらしい。

それは量子力学というものが発見されたことにも
関係しているのかなとぼんやり思った。


自分の意志、意識というもの。
他人の思考の仕組みさえも。
完璧に理解できないからこそ、
知り、経験する過程が楽しいんだ。
それは、苦しみが大きければ大きいほどに。