補助輪なしの自転車 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

補助輪なしの自転車を
スイスイと乗れるようになった瞬間のことを
今でもよく覚えてる。



私は小学生になるまで、
クラスで一人だけ、補助輪が
外れていなかったのだ。

友達はみんな、お父さんやお母さんに
たくさん一緒に練習してもらって、
幼稚園の頃には乗れるようになってた。

私の父は子供を構うような人ではなかったし、
母は身体が弱いすぐ下の弟と
生まれたばかりの一番下の弟との世話で
私を構う暇などなかった。

自転車になんて
乗れなくたっていい。
と、半ばグレてもいた。

しかし、友達はみんな
遊ぶ時には自転車で移動するので、
さすがに寂しくなって、
一人で黙々と練習した。

母親はその時、
二人の弟たちだけを連れて、
自分の実家だったのか、
旅行だったのかに行っていた。

家には祖父母がいたし、
私は祖父にとても懐いていたので、
私はよく母に置いていかれた。
それが、寂しくなかったか?と
言われれば、やっぱり寂しかったのだろう。

けれどもしっかりしていて、賢い。
と周りから評判だった私は、
親に反抗はしても、
素直に無邪気に甘えることは、
恥ずかしくて、情けないのだと
心のどこかで思ってきた、
そういう可愛げのない子供だったのだと思う。

小学一年生の夏休みだったと思う。
祖父母や父は仕事をしていて、
友達はみんな自転車で遊んでいた。

ひとりぼっちの私は、
買ってくれていたものの
放置していた補助輪のない自転車を乗る練習を
毎日していた。

右足で踏み込んでみるけれど、
左足をペダルに載せた途端に
自転車は右側に傾いてしまう。

偶然少しだけ前に進んだと思っても、
どちらかを踏み込んだ途端に
バランスを崩して倒れる。

信じられなかった。
この細いタイヤが何にも支えられることなく
倒れずに前に進むのが。

転んでは諦め、
でも次の日にはまた同じことをした。

何も考えていなかったと思う。
ただ同じ動作を繰り返していただけのようにも
思う。

しかし突然転ぶことなく
自転車が前に進む瞬間がやってきた。

それはやり方をどんなふうに変えたのかとか、
頭で理解している感じではなかったと思う。

知らないうちに乗れた…
そんな感覚だった。

そしてそれは、二度と乗れなくなることはない。
そんな確信を私にもたらしていた。

自転車だけじゃなくて、
人生にはそんな何かが突然上手くいく。
と感じる。
そんな瞬間が何度もあるって思う。

その後も私は離人症のような
(診断されたわけではないけれど、
 今調べると症状はそれに近い)
精神の病気のようなものに子供のときと、
大人になってからの数ヶ月ほど
苦しんだことがあるのだが、
あれは、目の前の出来事が
突然、現実感がなくなり、
何にも興味を持てなくなって、
ただただ不安で眠れない毎日が
ひたすら続くという苦しい症状だった。

しかしそれも、いつのまにか
世界と意識が連動するような瞬間が訪れて、
大人になったときにそれが改善したときは、
もう一度、あの感覚に戻ったとしても、
自分で意識をリアルに戻せる。
そんな自信がついた。

精神疾患として、様々な病気があるけれど、
例えば森田療法という
神経症の改善のための有名な治療法が
あるらしい。
あれも調べてみると、
薬や行動の治療法を重視しているのでなく、
考え方や心の持ち様を変える。
そんな訓練のような気もする。

創始者の森田正馬氏は、
自身の著書でこう言っている。
「あるがままでよい、
    あるがままよりほかに仕方がない、
    あるがままでなければならない」

私はこの意味が今はとても
よく理解できるのだ。

なぜなら、自分が精神の苦しみから
脱却したときは、
どうしてとか、どうしたら。などとは
考えていなくて、
もういいや…死にたくなったら
自分で死ねばいい。
でも今は死んだら周りが困るし、
自分も痛いから、やめておこう。
それを心で繰り返していただけで、
いつのまにか、自分の内側から、
外側に興味が移るようになったのだ。

その感覚はまるで。
自転車をスイスイ乗りこなすことができた
あの小学一年生の夏休みのときのような
不思議な爽快感とも似ていた。

自分が苦しくなる材料は
探そうとすればいくらでも見つかった。
だとしたら、
自分が楽しくなる材料だって、
同じように見つけることができるんじゃないか。

深く考えることに
楽しさがあるのならいいけれど、
そうじゃないときは、
いろんな事柄に鈍感になって、
無頓着になったっていいんだ。

そんなことを思いついた。
それは、自分の中で、
すごい発見でもあった。

右足に力を入れて、前に進もうとする。
倒れたくない。
そう思うだけで自然に
左足に同じような力を入れることができた。

きっと人生は補助輪なしの自転車だ。
転びたくない。
怪我をしたくない。
そう素直に思うだけで、
自然に自分を守れるんだ。

前に無理やり進もうとするんじゃない。
頭で考えて、
右足と左足の動きを無理に
操作することでもない。

小さな心の成功体験を重ねて、
いつのまにか前に進んでいける。
深く考えないということが、
ありのままのような気もしている。