性と生 1 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

これはもう何年も前のお話なのですが。

まだ我が子が幼くて、私も若かったころ。
夫は仕事が大変に辛く、
またとても忙しい時期で、
出張が多かったのです。(あ。今もですが。)

とにかく夫は精力を持て余すタイプで、
夫婦生活では飽き足らず、
AVやエロ本を常に見ていました。

私はそれに関しては、
特に何も思わなかったのですが、
ある時から、夜遊びが激しくなったのです。

本人は隠しているつもりだったのでしょうが、
どうやら風俗にも通っている様子が
彼のいつもとは違う種類の
機嫌の良さから伺えました。

私はそれを見ないふりをする。
というスキルがその頃にはまだなく、
夫の携帯を見るようになり、
その証拠を見つけては、責める。

夫はその度に平謝りをする。
私は自分の性生活への態度が悪いのだと思い、
性の研究をしたり、
もっと積極的になろう。と努力を
したりもしました。

しかし、その努力は実らず、
夫はとうとう出会い系を使い、
素人さんと浮気をしてしまったのです。

発覚したのは、もちろん携帯電話を
私が覗き見たからでした。

私はただただ悲しく、裏切られた気持ちになり、
そこから、もう責めることは辞めよう。
なぜ、夫は浮気をしたのだろう。
なぜ、自分はこんなにも悲しく、
そして悔しい気持ちになるのだろう…

そんなことから、愛ってなんだろう。
性ってなんなんだろう。
夫婦って。結婚て。恋愛って…
そのことについて、考えたり、
また自分に起こる様々な感情の原因や、
もっと言うと。
人のココロの仕組み。みたいなものを
知りたくなってしまいました。

夫の浮気が発覚してから、
私はその怒りや悲しさを
夫やその相手にぶつけたいとは
不思議と思わなかった。

それは、夫に来ていた相手のメールを
見た時に、
自分がなぜか"負けた…"
と思ってしまったからです。

そこには、その彼女の
性に対する、そして男の人に対する
正直な衝動が綴られていたからです。

私は女であること。
そして性生活を義務にしていたことに
気付かされたのです。

私は夫に対する恋心をとうに失っていて、
自分だけが、仕事と子育てに追われている
被害者だと思ってきたんじゃないか。

しかし夫は、父親や社会人であるまえに、
"男"だったのです。

そして、自分が結婚に第一に求めたものは、
生活の安定と社会での認知だと気づいたとき。

私は結婚も恋愛感情も、
他人の心を縛る術にはならないことに
気づきました。

だったら。
自分はどうすればいいのだろう。

1人の人に愛され続けること。
いや。恋と愛を両立し続けることが、
不可能に近い出来事なんだと納得したときに。

自分が本当に大切にするべきものは、
自分の人生を自分で楽しませることなんだ。
と思いました。

それから、夫の携帯を見ることもなくなり、
また、無理に恋愛感情というものを
夫婦の間に持ち込まなくても
いいのだ。と思うようになりました。

家族という存在。夫婦という関係。
それは、恋愛に単を発してはいるが、
心の形は時間と共に変わっていくのだと
理解したのです。

私の心は自由になりました。
すると夫の自由も許せるようになりました。

何もかもを知る必要なんてない。
私は家族という集団の主導権を握り、
滞りなく運営していくためのリーダーになる。

その思考の選択が、
正しいのかどうかはわからないけれど、
家族の平和を維持することが、
社会貢献のひとつである。
という認識が、
私を家庭の中で、女であるからこその
悩みや苦しみから、
自分を解放したのは、確かだったのです。


つづく。