すべては書けません。
先日の記事(晩ご飯が…)こちらにも書きましたが、
息子が先生に褒められたと
珍しく私に見せてくれた
夏休みの宿題の作文は、
こんな一言から、はじまっていました。
ー 僕には、才能がない。
そのストレートな言葉のインパクトから、
読み手をどんどん引き込む
文章の構成力。
(あ。親バカなんでo(*^▽^*)o♪)
自分を賢く見せようとすることのない
(実際、賢くない。w)、
シンプルな言葉の選択。
いや…
そういう技術的なことではないんです。
彼は今、15歳なのですが、
少し前まで、いわゆる反抗期でした。
自分のダメな部分を
客観視することができず、
周りに指摘されたと感じると
それが遠回しの言葉だとしても、
拒絶して、反抗した。
些細な言葉でも、自分を否定されてる。
そう感じて、言い訳と、
他者への攻撃によって、
自分を守っていたんだと思います。
この作文の中には、
彼が今まで、自分ができなかったこと、
そのための数々の失敗や、恥。
それによって、
自分の振る舞いが周りをどんなふうに
傷つけてきたのか、
そして、自分にどれだけ自信を
なくしてきたのか。
それが、すべて正直に書かれていました。
最後には。
ありがちだがw、
こんなエジソンの名言で自分を励ましている。
ー天才とは、1%のひらめきと99%の努力。
だと言ったのは、
発明王、トーマス・エジソンだ。
自分には、器用さもなく、直感力もないが、
それでも、
捻くれることなく、自分を嫌いになることなく、
努力できる。という僕の持つ、
唯一の才能だけを信じて、
希望を持ち続けたい。ー
しかし…
残念なことに。
エジソンは、
この言葉を真逆の意味で
世間に捉えてられていることに
彼が嘆いていたことを私はネットで知った。
エジソンは、1%のひらめきがあれば、
努力は必要ないのだと、言いたかったらしい。
そして、実は私もそう思っている。
けれども、私の息子は、確かに不器用だが、
こんな文章を書けている時点で、
そのひらめきというものを
すでに手に入れているのだとも思った。
パラダイムシフト。
という言葉をここで私は知った。
その分野において当然だと考えられてきた
思想や価値観が、
革命的、もしくは劇的に変化すること。
だという。
私はここで。
自分の内面に於いて、
そのパラダイムシフトとやらを
どうやら経験したのだと感じる。
でもそれは、劇的な変化ではなかった。
自分の中にあったが、
自信が持てなかったぼんやりとした価値観を、
外の世界においても、
自分の言動や行動に変換できるように
なってきたのだった。
そのことにより、私の周囲は
よりよい方向に変化してきた。
周りが変化してきたと思うのは、
自分の内面が変化した証なのだった。
息子は自分に自信を持つようになった。
しかしそれは、自分を誇示しているのとは違う。
自分の良さも悪さも
客観視できる力を持った。
ということだ。
悩みや迷いにある自分を
他人にぶつけたり、
他人に期待することで、
解決しようとしないことだった。
彼は。
自分を好きになったのだ。
親譲りの薄い顔や、骨格のゴツさ。w
ここぞというところで、
緊張しすぎてヘマをすること。
めんどくさがりと忘れっぽいところ。
そんな自分をありのままで受け止める。
しかし、自分には他人にはない、
絶対的な自分を持ってるとも思っている。
それは。
他人に対して、否定から入らないこと。
人にはダメな人と、
いい人がいるわけではないこと。
それだけは自分はきっと理解しているんだとも、
彼の文章には書かれていました。
そして実際の日常会話の中でも、
息子の言動からは、
他人を嫌いだという発言は、
ほぼなくなってきたのだ。
自分にも他人にも。
同じように無限の可能性がある。
そう信じることが、希望というものなのだと、
私は息子の文章により、改めて感じた。
パラダイムシフトは、
1%のひらめきから起こる。
そして、それは。
自分が絶対に
聞き入れようとしなかった言葉たちの中に
あるのだ。
missingpart by なお
