息子が適応障がいになったのは、ちょうどコロナ禍の頃で、多分日本中の会社がてんやわんやでした。
品川にある大手のビルで、勤務している人が1人コロナに感染性して、ビル全体を休みにして消毒とか?
スーパーの店員が1人コロナに感染して、店はお詫びを掲示して、休業して店内を消毒しました。
歯科衛生士の人が(多分歯科治療中の患者から感染したのに)勤務先の歯科を解雇されたり、今思うと何であんなに?というヒステリー状態でした。
息子の職場でも「絶対に我が営業所からコロナ感染者を出さない。」という、徹底ぶりでした。
職場でマスクが配られ、検温が義務になり、報告させられました。
微熱でも出たら、即受診・PCRして、陰性が証明できないと出社出来ませんでした。
当時は1日当たりのPCR検査数が絞られ、簡単には受けられませんでした。
テレビで「37.5度が4日続いたら検査を受けられる」とか、言っていました。
発熱したら、まずは保健所に電話をかける。ところが電話の相手はアルバイトなのか?まともな返事がかえって来ませんでした。
仕方なく発熱外来に電話をかけても繋がらない。やっとつながると予約は3日後。
でも会社は「3日以内に陰性証明を持って出社しないとクビだ!」と言いました。
(発達障がいじゃなくても、どうしたらいいのか?わからなかったと思います。)
どうにか4日目に、陰性の結果を持って出社しました。
ニュースにはなりませんでしたが、息子の勤め先が入っているビルでも、1人感染者が出た為にビルを休業にして消毒しました。
(全国の消毒業者が大忙しだったでしょう。)
🧑🦰「もし、あなたが陽性だったらどうなるの?」
🧒「本社が飛んできて、営業所潰されるよ。」😰😰😰
物凄い悲壮感の中で仕事をしていました。
ところがある日、息子はとんでもないものを見てしまいました。
会社のパソコンを見ていたら、会社全体で既に100人以上感染していました。
帰宅した息子は私にその事を言いました。
🧑🦰「おかしいわね?
ニュースでは【クラスター】って大騒ぎなのに、100人でもあなたの会社はニュースにならないの?」
🧒「1ヵ所で100人ならクラスターだけど、1つの営業所で1人感染だと、
100ヵ所で1人ずつならクラスターじゃないから。」
🧑🦰「じゃあ、もう日本中に普通にコロナは蔓延しているじゃない?」
🧒「そうだよ。」
こんな異常な緊張感の中で、息子は社会人生活を送っていました。
私はあの時、
「何で息子は今、社会人なんだろう?
学生だったらこんなに苦労しないのに。」
と思いました。
でも、あの時の大学生は、人が集まってはいけないので、授業はリモートになっていました。
暗黒時代は、息子だけでなく同じ世代の人達を飲み込んで行きました。

