今日は、夫の透析でしたが、家を出る前に津波の情報が。
心配でしたが、透析に行ってもらいました。
(透析中止して帰って来るかもと思いましたが、透析は3時間やりました。)
夫が出掛けてから、1時間して、10時頃に注意報が警報になり、防災無線のサイレンと、逃げてくださいのアナウンスが始まりました。
不思議なもので、予測される津波が、1メートルの時は、それほどこわくなかったのに、3メートルになった途端、恐怖を感じました。
息子だけでも今すぐ内陸部の高いビルに逃げろと言うべきか?悩みました。
私も息子も緊張して震えました。
とりあえず、リュックに処方薬と、お薬手帳と、夫の障がい手帳や、医療証等と、義父母の位牌を入れました。
息子にはスマホの充電をするように言いました。
でも、発達障がいで、年齢的な症状も出てきた夫を置いて避難出来ません。
自宅以外の場所で、夫と落ち合うのは無理だと判断しました。
クリニックに電話をかけるのも申し訳ないので、昼ごはんの支度をして、私と息子は食事して、夫の帰りを待ちました。
テレビの赤い警報の文字や、防災無線のサイレンに、逃げなくちゃという気持ち、脈も血圧も上がりました。
息子が不安になっているので、
🧑🦰「1番安全なのは市役所だよね?
でも間に合わなかったら、表通りのマンションに逃げるから。」
🐷「どうしてマンションなの?」
🧑🦰「3.11の後で、避難ビルの協定でロックを解除してくれるはず。」
ご飯を食べたら、少し落ち着きました。
テレビには、各地の避難の様子が映っていますが、屋上避難は暑くてしんどいだろうと思いました。
(トイレの心配もあります。😰)
1時を過ぎて夫が帰宅しましたが、そのまま1階の座敷に倒れ込み、とても逃げるどころではありませんでした。
昼ごはんを食べたのが3時でした。
透析クリニックにいたときは、防災無線の音は聞こえなかったらしく、帰る途中でサイレンを聞いて怖くなったそうです。
警報は続いていましたが、一番近くの潮位計測が30センチだったので、この酷暑の中動くよりは、2階に垂直避難するのがいいと判断しました。
(夫は全く歩けませんでした。)
その後警報は注意報になりました。
3.11の後、落ち着きのない息子を連れて避難所で過ごせるか?と悩みましたが、今は息子は落ち着いていますが、夫が避難所でトラブルを起こすのではないかと?心配です。
震災から14年経って、危機感も薄れていました。
家族がバラバラのところに居る時に災害が起きたら?
相談しておかないといけないと、反省しました。