最近気づいた
「自分はそうじゃない」と思っている物事ほど
自分の深い部分で当てはまっている
ということ。
私の場合、例えば
お金が嫌い
寂しさの埋め合わせのために誰かと付き合う
そういった思考に対して
嫌悪に近い感情を抱いている。
そんなことするの、馬鹿げてるって。
でもこれもある種、「反応している」のです。
自分の中にその要素がある証拠ですね。
嫌悪して見下すのはなぜかと言うと、
それらの思考を批判して自分と切り離すことで
「自分はそうじゃない」という体裁を自分に対して作っているんですね。
でも実のところ、
私はお金が大好きだと豪語するにも関わらず
本当は、幼少期から長らくお金の欠乏感に苛まれていて
その嫌な気持ちを感じさせるから、どこかでお金が嫌いでもあったんです。
寂しさの埋め合わせについても、
嫌悪してその価値観と距離を置かねば自分がそうなってしまう、
そしてそうなれば自分の価値観や教わってきた観念・常識が
そんな自分を許さないことを、どこかで分かっていたんだと思います。
だから距離を置いた。
でもね
自分の感情にフタをして
そんなものは無い
と言い続けていると、
自分がつらいのです。
その考え(フタ)が出現した当初は
もちろん、必要だから出てきたのでいいのです
大抵は自分を守るために、自然なこととして。
でもその状況を抜け出たり
自分がもっと成熟してきたりすると
そういった古い価値観や恐れなどは、
いらなくなってくるんですね
そうしたら今度は
そのフタをそっと開けて
もうそろそろ、出てきてもいいよ
と、自分の本当の気持ちを
呼んできてあげなくてはいけません。
そうでないと、いつまでも
その気持ちは、そこで、ひとりぽっちです。
かくれんぼをして、ずっと見つけられない子供になってしまいます。
そうかあ
わたし、お金がなくなるのが怖くって、だから嫌いだったんだあ
わたし、寂しかったんだあ
認めてあげるのが、
癒しの第一歩。
おまたせ。


