すなおに生きる -12ページ目

すなおに生きる

素直に
よろこぶ
かなしむ
あいする
たすけてっていう
やりたいことに焦点を合わせる

そんな生き方をしている私の
日々、感じたモノコト。





昨日、とても大好きなお友達が家に遊びに来てくれました。


天気が良いからお散歩しようね♡と言っていたのですが

会ったら、懐かしの使い捨てカメラを用意してくれていた!


それぞれひとつずつ持って、お互いの感性の赴くままに

シャッターを切ろう、というアイディア。


なんて素敵!なんてクリエイティブ!



目的地も決めず、お互いの気の向く道へ入ってゆく


地元のそう遠くないところだけど知らない場所や

いつも目にしているけれども、写真の構図に使えるかしら

という新しい視点で景色や家々を見る

というのは、とても新鮮だった


カメラが39枚までしか撮れないし、

もちろんモニターなんてついてないから

現像するまでどんな写真が撮れたかわからない。


この時代にあえてのアナログ。

不便さや縛りがあるからこそ

創意工夫が生まれる。


どんな構図にしようかな

残り枚数に限りがあるから真剣に考えます

それがとっても楽しいの!

子供みたいに“真剣に遊ぶ”


町並みだけでなく、お互いを被写体に撮ることも。

写真に写るのが苦手な私だけれど、

彼女とだったら撮ってもらいたくなるから不思議


お互いの頭の中にあるイメージに近づけるために

地面に寝っ転がったり

あぐらを組んで座ってみたり、

丸くなってみたり走ったり飛んだり

ブロック塀しか足場のないフェンスにしがみついてみたり(笑)

本当にとても楽しかった



遊ぶということは、創意工夫と見付けたり。


体一つ

それと簡単な道具

友達

自然

感性


それだけあれば、日が暮れるまでワクワク遊んでいられる

子供の頃、そうだったよね


アプリやゲーム、漫画なんかでいくらでも時間は潰せるけど

そして色々良い刺激を受けられることもあるんだけど。


真に「遊ぶ」というのは、与えられたものをただやるのではなくて

そこから自分たちだけの個性を活かして工夫をすること。


すでにあるものの中で最大限楽しみを見出す

もしくは

創り出すこと。


旧型のカメラひとつで、いつもの町がこんなに楽しいだなんて知らなかった

日常の中に新鮮な面白さを見つける

これこそクリエイティビティだと教えてもらった一日でした♡






幸せになりたければ

考えすぎないこと。


あまり深刻にならないことだよ


先が見えなくても

自分がとんでもなくダメな存在に思えても

様々な悩みの種に押しつぶされそうになっても。


不安感が

むくむくむくーっ

と顔を出したら

ああ、私が仲良くしたいのはこいつとじゃなかったな

と、ふっと我に返って不安を手放すこと



不安なことって

大概、「わからない」ことが原因だったりする

どうすればよくなるかわからない

なんでこうなっているのかわからない

これからどうなっていくのかわからない


あのね

わからないものは、わからないんだよ

考えていれば、なんとなく向き合った気になって

解決策が見つかる気がして、

考えるという「行動」をしたつもりになる

少し不安を抑えられる気になるんだ


けど

大体は

不安を増幅させるに留まる



開き直って。

あなたが仲良くしたいのは、幸福感なはずでしょ

不安感を幸福感にしようとしないで。

不安を手放して、幸福を選び取って。


毎瞬毎瞬、できるのはそれだけだよ。

そしてそれが、一番強力な術だよ。

あなたの人生は「大丈夫」。

大丈夫。

そこに理由なんていらない。






「偶然」とか

「タイミング」とか

そういった言葉を

軽く凌駕する何か



引き合わせられるのが


縁。



出会うのも、

別れるのも。


この三次元にいる自分では

到底、コントロールできない何か。

その何かによって

与えられる。


けれどもそれは

ただ単に

上から下へ

ぽーんと投げ与えるような

一方向的なものではなくて、

この次元、の私たちは

それに対するアクションを

自ら選ぶことができる。

(……ある程度は。)



必要なものは

与えられているけれども、

運命が決められているというのではなくて

与えられたものの中から

選び取ることができる。

自分の意思で。



時間や場所や

そういったことだけでなく

「与えられる」

「選ぶ」

という

ひどく繊細なニュアンス、

そのバランスの上に縁がある。






本当に素晴らしくて優秀な人ほど

いかに「できないか」を知ってるんだなあ


東大のある優等生は、

自分はバカですぐ忘れるから

と勉強を怠らないとか。



そして本当に尊い考えの持ち主は

人間は完璧じゃないと言う。


それをよくわかっているから、

常にベストを尽くすし

人と人の違いも認められるし

きっと人のことを許せる。



不完全という愛おしさ。








最近、自己分析の精度が上がりました。

より深くなったというか。



久しぶり?に怒ることがありました。

とある場における受付さんがあんまりにあんまりで……



(以下、状況説明という名の愚痴。次のカッコまで読み飛ばし可です)




その受付さん、受付業初めてだったらしく、

私の対応をしてもらっているはずなのに

後から来た人を先に受け付けちゃうなんてのは全然可愛いもの。


明らかなテンパり具合に、「この人、要注意人物だなぁ」と判断して

予約の時間の少し前に受付に戻ってきたことを告げ

「ここで時間来るまで待っててればいいんですよね?」と

先手先手に確認したところ、受付さんは「はい」とお答えになられたのだけど、

待っていて、いざ時間になってみればほかの方が私の目の前で入っちゃって、あれ?


受付さんに問い合わせるとどうやら私が席を外している間に

私の予約時間を勝手にずらしてほかのお客を割り込ませたらしく。


いやいやいや。

ありえないしそれならそうとさっき確認した時に言ってくれません?怒り


途中までは

まあ言うても初めての受付って言ってたし

苦手だろうところ一生懸命頑張ってんだしそう目くじら立てんなよ

と自分に言い聞かせてましたが、さすがに最後のでちょいキレた。



(愚痴、ここまで)




帰路についても感情的にイライラもやもやしていたので

自己分析をしたのです。

何でこんな怒ってんだろ?と。


これまでの自己分析の深度だと

・自分がないがしろにされたから

・能力が低くてペコペコしてる人が腹立つから

というところで終わっていたのですが、今回は



ああ、私、まだ自分の弱さや

昔うまくお客様対応できなかったこと、許せてないんだ



と、気づくに至りました。(ちなみに前職はすべて接客)



自分が昔失敗をして、猛省し自分を責め、恥ずかしい思い申し訳ない思いをして

もうそんなことがあったのなんか、見たくもないし思い出したくもないわけです。

でも、それを彷彿とさせる事態・態度を目の前で見せられる。


そりゃ、嫌ですよねー


だから、怒る。

でもそれは、その受付さんに、ではなく

過去の自分を彼女に投影して、過去の自分に対して腹を立てていただけなのです。


少しスピ的な言い回しをすれば

彼女は私の嫌われ役を買って出て、

「みどりさん、自分の過去の失敗、まだ許せてないですよ」と

教えてくれたんですねー。



「相手」と「自分」、「現象」を切り離して考えるのではなく

すべて自分の「鏡」なのだという視点に

すんなり入れるようになったわけです。


これは、進歩!

無理なく「すべて自分原因説」を実践できている感じ。


小さなことで怒っちゃう自分も、まあ、これでいいのだ。

甘くゆるく許してあげる。

で、進歩した分は褒めちぎる!(笑)

これが鉄則ですね。


そしてもちろん、

まだ許せていなかった自分のことは

もう水に流しちゃう!

いいのよ人なんて失敗するんだから!今はもうしないデショ!はいっ終了!!

わーい、自己肯定うまくなったぞきらきら


とまあ、こんな内容でも、

自己分析や自己肯定のヒントになれば幸いです^^