フェミニスト終了宣言 | イギリスで映画学

イギリスで映画学

映画学、特にQueer/LGBTQ Cinemaについて考察。
あとはイギリスでの生活。

 

 

※完全なる個人的見解※

 

フェミニズムが終わった、という意味ではなく

 

「フェミニズム」という言葉の分かりやすさ・単純さに限界を見た、という意味です。

 

フェミニズム、つまり「女性」というカテゴリー焦点をに当てることで社会に余計な混乱と偏見と、弊害を生み出している気がしてなりません。

そう感じる事件が身近が起きて、「フェミニズム」が理解されずに、ただ「女性」であることが不必要に強調され、その反動で「男性」イコール悪、という単純な理解しか出来ない人が世の中に増え過ぎてしまったと感じています。

 

 

もっと違うアプローチがあるはず。

 

問題の根っこは「男」と「女」というジェンダーよりももっと大きなところにあるのに、それに気付けない人が多い。

 

自分は女性として、誇りを持って生きていますが『フェミニスト』と名乗らなくてもより良い社会を目指すことはできると信じています。

 

 

人間て分かりやすくするために物事を何でもカテゴリー分けしてしまいますよね。

 

女性だから、・・・

シングルマザーだから・・・

女の子だから・・・・

 

この後に続くフレーズ、聞きたくない。

 

同様に、

 

男性だから・・・

シングルファザーだから・・・

男の子だから・・・

 

他にもカテゴリー、たくさんあります。

 

日本人だから・・・

移民だから・・・

一人っ子だから・・・

末っ子だから・・・

 

ぜ〜んぶ、ただの決めつけであり、ナンセンス。

 

 

女性であることは素晴らしいです。

「フェミニズム」で謳われる「シスターフッド」のスピリットをかつて、私も持っていました。

 

 

でもね

 

「女性」にだって、ついちゃいけない嘘をついて、男性を家庭内暴力の加害者に仕立て上げる。そういう人が存在しているんです。

これができるのは、女性=被害者、身体的に非力、経済的にも社会的にも弱い立場にあるという図式が、いわゆる「一般的なケース」として成り立っているからでしょう。(だからこそ「フェミニズム」が重要なんですが・・・)

でも、そうじゃないケースだってあるにも関わらず、この「一般的なケース」にバイアスがかかって、個別のケースを見ようともしない人たちが多すぎる。

子供の親権が欲しいからと、かつてパートナーだった相手を加害者に仕立てあげようとする「母親」が実際いる。

自分に有利なよう運ぶために計算する人が、実際いる。

他人の尊厳をないがしろにしてまで、自分のワガママな欲望を押し通そうとする人が世の中にいる。

 

 

 

それを可能にしてしまう社会に、失望し、憤りを感じています。