堀淳一(Jyunichi Hori)著、『エントロピーとは何かーーー「でたらめ」の効用』を読みました。

講談社のブルーバックスです。






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今回の本のお供は、キュアコスモのぬいぐるみです。

地球よりも科学技術のはるかに進んだ遠い宇宙に住む彼女なら、きっとこの本の内容なんて当然のことすぎて、「どうして今更こんな当然のこと書いた本なんて読んでるニャン?」なんて物憂げに言い放ちそうです。






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『エントロピーとはでたらめさの尺度だ、とはよく言われる。
しかし、でたらめさとはそもそも何ぞや、ということに対する十分な説明には、あまりおめにかかったことがない。
それではでたらめさの尺度、と言ってみたところで、何もわからないのと同じことではないか。
エントロピーについて書かれた本はたくさんあるけれども、このあたりがいつもものたりないために、結局、何かつかみどころがないというもどかしさが、いつも残ってしまうのではないか。ひとつでたらめさとは何かということの徹底的な解説からはじまる本を書いてみようかーーー(本書「まえがき」より)』






前回の記事で、『熱力学で理解する化学反応のしくみ』という本を読んだ感想を書いたのですが↓


『熱力学で理解する化学反応のしくみーーー変化に潜む根本原理を知ろう』読書感想


↑この本の巻末に著者のオススメの本が載ってまして。

今回読んだのはその中の一冊です。

同じくブルーバックスだったので手に入れやすく、あれからすぐに買って読んでみましたよ。

第1刷が昭和54年8月20日になってますから、私がまだ一歳になる前に出版されたけっこう古い本です。





本書はエントロピーについて、あまり数式を用いずに、代わりに具体的な例を『眼に見える』形で解説してくれる本です。

物理学におけるエントロピーと、情報理論におけるエントロピーの両方について書かれています。






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まずは情報理論におけるエントロピーについて書かれた部分について。

私は浅学なもので、エントロピーって化学や物理学でしか使わないものだと思っていたので、情報理論におけるエントロピーの説明はとても興味深かったです。
物理学では出鱈目さを示している量が、情報理論では情報量を表わせるなんて、驚きました。

情報のエントロピーでは対数の底を2として比例定数を1とすればそれがビットという単位の量になり、これは二進数を何桁使って表わす情報なのかという量をそのままエントロピーの値にすることになる…この辺りの説明はとても面白かったです。

情報理論におけるエントロピーを考えると、ゆとりや冗長さの無い効率的で精巧な物やシステムのかかえる問題が浮き彫りになります。
無駄なことってやっぱり大切なのだよなぁということが、まさか数値として眼に見える形になるとは。

正直なところ、本書を読み始めた時に情報理論に興味のない私としては、物理のエントロピーだけを目当てにしていたんですけど。
読後の感想としては、情報理論のエントロピーのお話も面白いもんだなぁとそっちの方が印象に残ってしまいました。






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さて一方、物理学のエントロピーについての部分ですが。



実は私、エントロピーがどうにも魔法とか超能力みたいな不思議な力に思えて仕方ないのです。

たとえば力学だと、一つのボールがあったら、質量とか加速度とか初期位置や初速度や外部から加わる力とかなんやかや『ボールそのものに関すること』が解っていれば、いつどこにそのボールが存在することになるか、そのボールの運動を全部把握することができます。
だから原因(古典力学の法則というルール及びボールのデータ)があって結果(ボールの運動)が現れるって感じがあります。

けどエントロピーって、要はそのボールが大量にあって一つ一つが力学の法則にちゃんとしたがっている状況で、ボールたちの運動の結果として出鱈目さが現れてきてる…結果(出鱈目さ)から原因(熱力学第二法則)が逆に現れてるような印象を受けるんです。

これは、力学だって最初は観察から始まって何故物体がそんな動きをするのかという原因(というかこの世の法則)を探って作り上げたわけだから、学問体系の成立の順番の話ではなくて。

どーも力学は心情的にしっくりくるのに、エントロピーは原因と結果が逆になってるような妙な心許なさを感じてしまうんです。
まるで未来が過去を決めてるみたいで。

もしかして私は運動するボールに感情移入でもしてるのでしょうか?
自分が何かしたら、何かが起こる…みたいに、自由意志への無意識の確信が強すぎるのかも?
だから物に依存した考え方はすんなり飲み込めても、ありうる状況に依存した考え方にはちょっと違和感を感じちゃうんでしょうかねー。
なんか、まるで魔法みたいで不思議な感じがしちゃうというか。

んー、でも不思議と言えば、そもそもこの世の現象は実は全てが不思議なことなんですけどねー。
なんで力学が成立するのか、わかりませんもの。
なんで私達が存在するのかもわからないし。

考えてみれば私はとてつもなく不思議な世界に住んでいるのに、普段はそれに慣れっこになっちゃって不思議を不思議とも思わずのほほんと暮らしていて、挙げ句の果てにはドラクエとかファイナルファンタジーの世界とかに憧れてしまったりしているという…本当はこの世の方がずっと複雑で不思議な世界なのに。

そう考えると、結局は『慣れ』なんでしょうかね。
エントロピーという考え方に慣れてないから、不思議な感じや違和感があるのかも?



…と、まあ長くなりましたが。
エントロピーに対してそういう腑に落ちなさを抱いていたわけです。
似たような違和感を感じる方って私の他にも沢山いらっしゃるんじゃないでしょうか。

そんな方達に朗報なんですが、その違和感に対する解消策のような説明が本書には載っています。
ゴム分子の伸び縮みに関するエントロピーについて説明している部分においてです。
ゴム分子の両端を固定し長さを決めた上で、そのゴム分子のエントロピーを考えます。

ゴム分子の構造にはセグメントというものがありまして。
セグメントというのは、ゴム分子中の隣接する二つの炭素原子を結ぶ線分のことで、それぞれのセグメントは一定の様々な角度を取り得ます。
ゴム分子における炭素はセグメントで繋がった節の部分のようになっていて、そこでカクカクと折れ曲がってゴム分子全体は色々な形をとります。
昔はよく見かけたプラスティック製の蛇のおもちゃみたいな感じ…なんですけど。

さてこの時、
『エントロピーというのは一つ一つのパターンの性質ではなくて、パターンの集まり、あるいはそのパターンの集まりを生み出すルールの性質だ、ということである。だから、ある長さをもつゴム分子のエントロピー、といっても、それは、特定の形をもった一個のゴムの分子がエントロピーを持っているという意味ではないはずだ。あるきまった長さはもつけれども、形の方はあらゆる可能な形を考えなければならない。それらの形の集まりが、エントロピーをもつのである。』
『だからある時間にわたってゴム分子を見ていると(実際にはセグメントの運動が見えるわけはないのだが、もし見えたとすると)、それは、長さが固定されているという条件下でとりうるさまざまなパターンを、次から次へととってゆくだろう。そして、十分長い時間たつと、あらゆる可能なパターンを遍歴しつくすだろう。
 十分長い時間、といったが、セグメントの運動は非常に激しいから、実際には、われわれのふつうの感覚ではほとんど一瞬にひとしい非常に短い時間で、あらゆる可能なパターンを遍歴しつくしてしまうと考えてよい。ゴム分子は、いわば、自分自身であらゆる可能なパターンの集合を、各瞬間につくっているのであり、したがって、実際はただ一個の分子であるにもかかわらず、エントロピーをもつと考えることができるのである。』
(142ページ、143ページ)

どうも私たちは物理現象を扱う時に瞬間瞬間を考えてしまいがちなのでエントロピーに違和感を感じますが、時間を持って考えると確かにそれほど不思議なお話ではなくなりますね。

本書のこの部分、すごくわかりやすくてありがたかったです。

そもそも時間って分けられるものではないのかもしれないし…秒とか分とか単位をつけて便宜上区切ったりすることはできますが、時間そのものを実際に微小な部分に切り取ることなんて可能かどうかわかりません、不可能なのかもしれない。

ならば、物理現象はすべて時間の幅を持つものとして考えるべきものなのかもしれません。


ある時刻の物事を考えるとき、物事はその瞬間の微小な時間の粒に含まれているわけではなく、切り分けできない時間の節目の部分に幅を持ってただ乗っかっているだけだと捉えるべきなのかもしれない。



そんなことを思いながら読んでいたら、頭の片隅に昔読んだベケットの『プルースト』のことが浮かんできました↓

『プルースト』読…んでみました


↑そういえば、あの読みにくい評伝も時間に注目していたなぁ、と。

プルーストの描く人々は、その瞬間だけのうすっぺらい人ではなくて、時間という幅をもつモンスターみたいな重厚な人だ…みたいなお話だったと思います、うろ覚えですけど。

人だけでなく、物事にだって時間という幅を持って存在しているという考え方を当てはめてよいのは当然で。


そう考えるとエントロピーも不思議ではない考え方に思えてきますね。







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本書にはエントロピーに関する様々な例を挙げてくれているのですが。
私が面白かった部分は、先に述べた所以外では、相転移の説明と生命活動に関するエントロピーの部分です。




相転移について。

例えば前回に私が読んだ『熱力学で理解する化学反応のしくみ』では、水の液体と固体の状態変化について、自由エネルギーからどうしてそんなことが起こるか解説してくれていました。
必要なエントロピーとエンタルピーのデータは巻末に付表がついていてわかるようになっていて、それを公式に当てはめてみて、水が凍るか溶けるか計算できることを説明してくれていました。

でも、そもそもどうして水は0度になるといきなり状態を劇的に変化させて凍りつくのか、その説明はなかったのです。



本書では自由エネルギーについては触れておりませんが、その代わりにそこのところの解説にあたる、相転移については丁寧に書かれていました。
相転移の解説には数式が結構出てきて、私はそれを暗算で追っていくことができなくて、紙とペンを用意して計算しました。
ちょっと読むの大変でしたが、その分とても面白くて、よく理解できたと思います。




生命におけるエントロピーについて。

『エントロピーの小さい状態を維持するためには、休みなく小さなエントロピーを食い、大きなエントロピーを排泄し続けなければならない。』
『エントロピーの小さい状態を維持する代償として、外界のエントロピーはどんどん増え続けるのである。』
『人間は、人間の外の世界のエントロピーをどんどん増やしながら、その生命と文明・社会組織を維持しているのである。
(230ページ、231ページ)

こんなことが書かれていました。

この考え方は、やはり以前に読みました↓


pcrマシンを学ぶ


↑シュレディンガーの『生命とは何か』という本で私は、すでに述べられているのを見ておりますが。

生命体というのは、精巧の極みのような秩序ある状態です。
秩序があるということは出鱈目度が低い、エントロピーが小さい状態のこと。
だから、生命はエントロピーがとても小さな状態を維持することによって成り立っていると言えます。
生命が存在し続けるにはどうしても自分の外の世界のエントロピーを増やし続けるしかないのですが、それもやがて限界がきて、いつかはエントロピー増大の法則の流れに溶けて消え去ってゆくことになります。

これは…前回に読んだ『熱力学で理解する化学反応の仕組み』から引用しますと、

『世の中は、放っておけば自然に「でたらめ」になっていきます。これは大原則であり、「エントロピー増大の法則」は決して侵されません。しかし、ある程度のエネルギーが環境から与えられると、ある局所的な部分において、あたかも「エントロピー増大の法則」に反するような現象が生じます。この現象は
、「エントロピー増大の法則」の大原則から見ると、大きな流れの中にたまゆらにできた渦のようなものです。しかし決して流れに逆行しているわけではありません。」
(『熱力学で理解する化学反応の仕組み』106ページより)

ということです。



大きなエントロピー増大の流れの中では、私達は、まるで鴨長明の『方丈記』の例の有名な

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。』

の部分そのままに、ほんのひととき浮かび上がる泡のような、あるいはバグのようなものなのですね。





この世界ではエントロピーは増大するばかりで、全てのものはいつかは消え去る運命にあると思うとなんだか虚しいような気がして来もし、般若心経の『色即是空』が思い出されますが。

『色即是空』には『空即是色』が続くように、たとえ全てはひとときの夢であったとしても、自分はその夢の中に現にあるわけですから、虚しさに囚われてつまらない人生を送るよりも、自分の感覚を信じて楽しく暮らしていこうと思います……なんて、長くなったまとまりのないこの感想文を無理矢理まとめてみます 笑











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このブログ内の読書感想文の記事をまとめたページです↓





過去記事もよろしくお願いしまーす。









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