青空文庫さんを利用して、読書をしました。






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ニューコム・シモン(黒岩涙香訳)




ニューコム・シモンとはサイモン・ニューカム(Wikipedia)のことで、19世紀アメリカの天文学者、数学者だそうです。
さらに彼はSF小説も執筆していたとのことで、この作品『暗黒星』もSFの短編小説でした。

学者さんで小説を書いてらっしゃる方ってちょこちょこおられますが…例えばアイザック・アシモフとか、日本人だと森博嗣さんとか…どれも面白いんですよねー、学者さんの書かれる小説って。
この『暗黒星』も同様で、ずいぶん昔に書かれてはいますが、やはりかなり面白い一遍です。


舞台ははるか未来の地球です。
この時代の地球では、すでに学術上の発明などは数千年前に極度まで達して、科学がこの上に進歩する道は無くなるほど発展しており、国と国との関係は万国公法が極点まで進歩して戦争などの争いもなくなり、長らく大した事件も起こらず、退屈とさえ言えるほどの平和な日々が続いております。

最後に人心を動かした事件といえば、三千年前に初めて火星とこの世界との交信が行われた時まで遡ることになります。
地球から電磁波を使ってシグナルを送ったところ、火星から返事がきたのです。
火星人達は地球人よりもずっと天文研究が進んでいるようです。
今では宇宙空間において何か事件が起こりそうな時には、必ず地球人よりも先に火星人が異変に気づいて地球に合図を送って注意してくれるようになっていました。

その火星から、ある時、暗黒星の出現が知らされました。
暗黒星とは『色は名の通り暗黒で、短い尾を引いたのも有り全く尾の無いのも有る。何方から来て何方へ行くか少しも見当がつかぬ。』という、まあ彗星のようなものなのでしょう。
火星からは交信が続いてやって来ますが、その様子はだんだんと大変になってきていて、どうも火星人達はこの暗黒星を一大事変と捉えている模様。

そのうちに地球でも、理学研究所の理学博士がこの暗黒星のもたらす恐ろしい未来に気付きます。
暗黒星の軌道は我が太陽系の中心、太陽にまっすぐ落ちるように計算されるのです。
暗黒星が太陽に衝突すれば凄まじい爆発が起こり、その勢いを地球は免れることができず、人類は滅亡することになるでしょう…






…この後、刻々と迫り来る暗黒星の不気味な様子、人々がパニックに陥る様子、いざ破滅がやってきた時に地球上に現出した地獄の様子…などが、なかなか迫力のある筆で書かれております。
人類の終末の様子が真に迫ってハードに書かれており、読ませます。

古い時代の作品なので仮名遣いなどは旧態のものですし、科学的な知識ベースも今とは違っているので、作品全体の雰囲気はレトロなものですが。
そこを乗り越えてしまえば、この作品、普通にSFとして面白いです。

地球の最後という壮大なフィクションを見せてくれる、オススメの一遍です。










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逸見猶吉


なのでこの『火を喰つた鴉(からす)』という作品は童話となります。


ずいぶん昔のこと、チベットにはラランという名の性悪カラスが住んでおり、このカラスはいつも他の鳥達に意地悪ばかりしておりました。
この意地悪というのが決して可愛いものではなくて、かなりエグいものでして。
自分の飛行がご自慢のラランは、自分以外の鳥がうまく飛んでいるのを見ると、近寄っていって自分の鋭い嘴でつついて墜落させ、相手の鳥が落ちていくのを見て嘲笑うというような、碌でもないものでした。

そのラランに気に喰わないものがありました。
それはエヴェレスト山です。
ラランは何度もその頂上を目指して飛んでみましたが、半分も行かないうちに疲れて失敗してしまいます。

なんとかエヴェレストの頂上まで飛んでいきたいラランは、一人では無理だと悟って仲間を募りますが、ラランの性悪を知っている他のカラス達は誰も応じません。
ところが、まだ物を知らない若いペンぺというカラスだけはラランの口車に乗せられて、エヴェレスト行きに参加することにしてしまったのですが…





ラランが本当に嫌な奴なので、胸糞悪いお話です。

一応お話の最後では、ラランは因果応報で自分も酷い目にあって、そこで初めてそれまでの自分の悪行を反省することになるのですが。
それにしても、やらかした悪行が酷すぎる物なので、どんなに改心して憐れな目にあっていても、ラランには同情はできないなぁ。


しかし、ただのハッピーエンドではないこういう、なんだか心にモヤモヤっとしたものが残る童話というのは、ある程度の年齢の子供に読ませるには良いものなのかもしれませんね。
子供は成長の過程で、この世界の歪さを受け入れねばならないのですから。








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林芙美子






海の底のお魚さん達の世界のお話です。

ヒラメの学校の女学生達が、サバ達の住む鯖村へ遠足に行きます。
鯖村には天から日の丸のついた戦闘機が落ちてきたので、それを見学しに行くのです。

お魚達は戦闘機の周りをぐるぐると楽しそうに泳ぎながら、どうして人間達は戦争なんてしてるのかしらと不思議に思うのでした。




戦争批判が含まれた短い物語なのですが。
そんなことよりも、海の底のお魚さん達がとても可愛らしくてほっこりするお話です。

人間界は第二次世界大戦の真っ只中ですが、海の底ではみんな仲良く楽しく暮らしているのです。

鯖村へ遠足に行くヒラメの女学生達がキャピキャピしていて可愛らしいです。
明治から昭和初期あたりまでの女学生って、話し方なんかもお上品な感じで控えめで、でも若さに溢れて賑やかで華やかで、すごい良い雰囲気で愛らしいですよねー。

乙女の世界、素敵です。








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橋本多佳子
女性らしい感性で、可愛らしくて少し物寂しいような句をたくさん詠んでいます。

この一遍は橋本多佳子が詩人の感性でもって、秋の自然を随筆に書いた作品です。
5分もあれば読めてしまうくらい短い一遍なんですが、この短い文章の中になんて美しい日本の秋の風景を移し込んでいることか!

こういう随筆を読むと、自分がどんなに美しい世界に生きているかということに気付かされますね、普段は忙しさに紛れてそんなことすら忘れてしまいがちですが。

せっかくこの世に生を受けて存在しているのだから、どうせなら美しいものをたくさん見ておきたいなぁと思います。
本当に。

この作品もオススメの一遍です。









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和辻哲郎

ちなみに私は岸田劉生の『麗子像』とか『道路と土手と塀』とか、すごく好きです。


↑『麗子像』は気に入ってポストカードを部屋に飾っていたこともあります。

和辻が推薦文を寄せた岸田劉生の論文は私は未読ですが。
それでもこの随筆は読んで面白いものでした。
なぜならこの一遍は推薦文という形をとりつつも、要は和辻哲郎の芸術論を書いたものだからです。







和辻は、画家岸田劉生の理想・信念に『ここに享楽的浮浪人としての画家、道義的価値に無関心な官能の使徒としての画家を見ずして、人類への奉仕・真善美の樹立を人間最高の目的とする人類の使徒としての画家を見る。』と言います。



そして、この場合の『人類』とは…

『人間において感ぜられる一切の価値は、喜びも苦しみも悲しみも、すべて心の所産であって自然のものではない。

この考えをもって「人類」を意味づける時、それは初めて明白な内容を得るのである。

動物学的に類別せられた「人類」は自然物であって、価値とは関係がない。

が、我々が奉仕すべき対象としての「人類」は、「心なき物質」ではなくして、真善美の樹立をその事業とする大いなる「心」でなくてはならぬ。』

『過去現在を通じて数限りのない人間がその生命を投入し、その精神をささげて実現に努力した大いなる「価値の体系」がある。

それは我々の現前に輝き、我々が心をもって動く限り、我々を指導する。この価値の体系の創造者こそは「人類」である。

それは真善美に分別せられ得るあらゆる価値を、欲し造り支持する。』


…このように、生物的なヒトのことではなくて、形而上の『人類』のことです。


和辻哲郎は岸田劉生の理想・信念を人類に奉仕する=美に奉仕することと捉えていますが、これは和辻自身がそうあるべきと思う人間の有り様に他ならないでしょう。





最近はインターネットのおかげで、場所やら立場やらを超えて繋がれる「現在」という、横の広がりが急激に発達しました。

そのこと自体はとても良いことだと思いますけれど、横のつながりのみではあまりに薄っぺらです。
歴史を軽んじてしまえば、この世界は愚者のパラダイスに成り下がってしまうでしょう。
長い時をかけて人類が築き上げてきた価値体系を捨ててはいけない。

古きを学ぶことは大切なこととおもいます。










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