(画像はアメリカ公開時のポスター)





映画『カリガリ博士』(Wikipedia)を観ました。

…と言っても今回が初めてではありませんが。
この映画はお気に入りなので、何度も見ています。


1920年にドイツで制作されたモノクロの無声映画です。
すでにパブリック・ドメインになっておりまして、YouTubeで全編を見ることができます。





『カリガリ博士』は、ドイツ語原題では『Das Cabinet des Dr. Caligari』、英訳されて『The Cabinet of Dr. Caligari 』です。
訳すとカリガリ博士のキャビネット(箱、戸棚)って意味です。

『カリガリ博士』はストーリーとしては、サイコスリラー映画になると思います。

独特の雰囲気の美術、ゴシックホラーなメイク、役者たちの神経症的な演技などが、この映画がモノクロ映画であることや無声映画であることとあいまって、素晴らしい効果を発揮しており。
その不安を誘う映像美は、見る者の心を奪います。

その後の映画はもちろん、ジャンルを越えて様々な芸術作品に影響を与えた、怪奇映画の傑作です。

今でも十分に観る価値のある作品です。












以下、まずは『カリガリ博士』のさわりの部分のあらすじを書きます。
ネタバレしない程度に気をつけて書きますね。








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映画の冒頭、二人の男がベンチに腰掛けて話しております。



老人の方が、若い男に向かって、
「霊がいるのだ…どこにもかしこにも。霊は私達を取り巻いているのです。霊のせいで私は妻や子供たちから引き離され、健康も暖かな家庭も奪われたのです。」
と、どうやら自分に起こったらしい恐怖体験の悲劇を訴えています。

映画の冒頭から不吉な雰囲気です。




そこへ、



心ここに在らずといった表情の美しい女が、ふらふらと通りかかります。





若い男は老人に、
「彼女は僕の婚約者なのです。」
と紹介します。

そして、
「彼女と僕の経験したことは、貴方の人生よりももっと不思議な話なのです。」
「お話ししましょう。」
と、今度は若い男が老人に向かって、話始めます。



ここから、若い男の回想が始まります。







若い男の名前はフランシスといいます。
フランシスの住むドイツのホルステンヴァルという街では、年に一度のお祭りが開かれます。



フランシスが自宅で机に向かっていると、お祭りのチラシを手にしたフランシスの親友アランがやってきて、フランシスを祭りに誘います。







そのころ街の役所に、小太りで丸眼鏡をかけ、長い白髪をオールバックにして山高帽を被り、引きずるようなインバネスコートをまとってステッキを持った、怪しげな男が現れました。




この怪しい男はカリガリ博士。
博士は街の役人に、祭りで『眠り男』の見世物小屋を出す許可を求めに来たのです。
忙しい役人は博士を非常に邪険に冷たくあしらいますが、見世物の許可は出してくれました。

カリガリ博士は早速、大盛況のお祭りに出かけ、『眠り男』の見世物小屋を張ります。

その夜、第1の惨劇が起こりました。
街の役人が殺されたのです。
何か尖った凶器で、突き殺されていました。

次の日、アランとフランシスが祭りに出かけると。
ある見世物小屋の前でカリガリ博士が、眠り男の絵を描いた幟を掲げて、鐘を鳴らしながら、賑やかに呼び込みの口上をうたっていました。
曰く、
「中にお進みください!今回が初公開の、珍しい見世物です!『眠り男』チェザーレ、23歳!」
「この奇跡のチェザーレは、23年間、昼も夜も途切れることなく眠り続けております!」
「それが本日、貴方の目の前で、チェザーレは目を覚まします!死のような眠りから目覚めるのです!さあさあ、中にお進みください!」

アランとフランシスがこれは面白そうだと小屋に入って椅子に腰掛けると、先ほどのカリガリ博士が壇上に現れます。



壇上には棺桶のような箱が立てられており、その箱の蓋を博士が開くと、中には『眠り男』チェザーレが立ったままで眠っておりました。




チェザーレは博士の呼びかけに応え、目を覚まします。



さらに博士は、
「紳士淑女の皆さん!この『眠り男』チェザーレは、貴方の質問に正確にお答えします!」
「チェザーレはどんな秘密も知っているのです!チェザーレには過去も未来もお見通し!さあ、嘘か真か!ご自分で確かめてご覧なさい!前へどうぞ!チェザーレにご質問をどうぞ!」
と、言い始めます。





これを面白がったアランが、「僕はいつまで生きられる?」という質問をしたところ、チェザーレは、



「明日の夜明けまで」
と、不吉な答えを返します。





なんだか嫌な雰囲気になって、フランシスとアランが二人で帰っていると、帰り道で『殺人!ホルステンヴァル!』なんていう昨日町役人が殺された事件の張り紙まで見つけてしまい、ますます空気が重くなります。

そこへ、アランとフランシスの両者が恋する美しいジェーンという女性(冒頭でフランシスが老人に、自分の婚約者だと紹介した女)が通りかかり、彼らの空気は一変します。
二人は恋する女性を、ウキウキ気分で送って行き、
「たとえどちらが彼女に選ばれようと、僕らの友情は変わらない」
と誓い合って、その日は別れます。

ところがその夜、アランは何者かによって殺害されてしまいます。
第二の惨劇が起こり、アランはチェザーレの予言通り、夜明けまでに死んでしまったのでした。









さて!
この平和なホルステンヴァルを襲った連続殺人鬼の正体は誰なのか!?
フランシスの言った、彼と婚約者の経験した不思議な話とはなんなのか!?

怪しげなカリガリ博士の目的は?
眠り男とは一体何者なのか?







謎が謎を呼ぶこの怪奇な物語は、ますますの混乱の渦の中へと突き進んでいくのです…










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てな感じの、サイコスリラー映画であります。
古き良きエログロナンセンス映画といった趣で、楽しめます。
いかにも『怪奇』って言葉が似合いそうな素敵な作品です。







さてところで。
この映画『カリガリ博士』ですが、ドイツ表現主義という芸術運動の中の代表的な作品でもあります。

ドイツ表現主義(Wikipedia)というのは、ドイツにて第一次世界大戦前に始まり1920年代に最盛期を迎えた前衛芸術運動のことです。
表面の美しさを客観的に写しとる印象主義(Impressionism)に対して、表現主義(Expressionism)は人間の内面にある精神的なものや主観的なものを表現することを目指した運動だったようです。

代表的な作品としましては、映画ではこの『カリガリ博士』が挙げられますが。
そのほか絵画ではフランツ・マルクの作品が代表されることが多いです。


『小さな青い馬』フランツ・マルク



フランツ・マルクはただ馬の姿を画面に筆で落とし込むだけではなく、そこに自分の魂を投影し青い馬として「表現」しました。そのような方法が、この絵を表現主義というカテゴリーに分類させます。

こんな風に、目には見えない人間の内面を、作品として目に見えるように表現することを目指すのが、ドイツ表現主義というものだったみたいです。



その方法は、映画『カリガリ博士』についても同様です。
例えば、映画の背景美術では、以下のような表現がなされています。





映画の舞台となる街、ホルステンヴァルの一角です。
歪んだ建物、窓、階段…これは連続殺人に怯えるこの街の人々の不安をそのまま形にしたかのようなセットです。






カリガリ博士の住む小屋も、建物自体が歪んでいるし、人に対して建物の大きさもおかしいです。
ドアは斜めについているし、窓はひん曲がっています。
怪人カリガリ博士の不気味さは、その住む家にも表れているのです。







ここは映画の主人公フランシスの部屋です。
部屋は不規則な形で凸凹しているし、やはりこの部屋の窓もひん曲がっています。
フランシスの心の中を、そのまま部屋の形として表したようです。






そのほか、映画の登場人物達のメイクにも特徴があります。


これはこの映画のヒロイン、ジェーンの顔です。
白黒映画だからということもありますが、生気の感じられない白い顔、目の周りを黒く縁取るクマのようなアイシャドー、上唇だけを強調したリップ…ゴシックホラーな印象の、生者ではなく死者を思わせるような、綺麗ですけど不気味なメイクだと思います。









こちらは眠り男チェザーレのアップです。
目の下にくっきりと入れた黒いアイシャドーは落ち窪んだ目を表し、はっきりと濃く描かれた唇は血にまみれた口を思わせます。








そして、これはカリガリ博士。
どこからどう見ても怪人物にしか見えないメイクと衣装です。






このような不気味なセットやメイクや衣装で、殺人事件による不安で覆われた街や、それぞれの登場人物の心情を、目に見える形にして、表しております。

目に見える形に表しているといえば、さらに、役者達の演技もそうです。
皆、かなり大げさで、神経症的な演技をしています。
自然な演技とは程遠いです。



このように映画の美術の全てが、人々の不安を表現する映像美を目指しているのです。
不気味な連続殺人というストーリーの持つ「怪奇」を、この映像美でもって何倍にも増幅させ、恐ろしい怪奇映画の傑作に仕上げてあります。









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さてところで。

では、この『カリガリ博士』の成功、つまりドイツ表現主義という方法で作られたこの映画の成功は、どうしてもたらされたのでしょうか?

それを考えるには、まずは第一次世界大戦後に、ヨーロッパ各国を席巻した数々の前衛美術について考えてみることが必要です。



第一次世界大戦は、それまでの伝統的古典的なヨーロッパの精神に衝撃を与えました。
第一次世界大戦とそれまでの戦争には大きな違いがあります。
第一次世界大戦は、人類が初めて体験した総力戦です。

それまでの戦争では、戦争をするのはあくまで軍人であって、国民ではなかったのです。
各国の軍隊が争って武力が無くなったらそこでおしまい。
その時点で勝ち負けも決定して、後は各国首脳が会議を開いて条約を結んで、勝った国は有利に負けた国は不利な立場になり、それでおしまい…だったはずなのです。

しかし、第一次世界大戦は、そのようなある意味では国民には関係ない、軍人やらお国のお偉いさん達やらだけで済んでしまう解決には至りませんでした。
武力が無くなれば、さらに動員に動員を重ね、予算もどこまでもつぎ込み、とにかく徹底的に争いを続けたのです。
それまでは無関係だった国民達の生活が、戦争のために圧迫されることになりました。
国の持つもの全てを、戦争につぎ込んでしまったわけです。

そんなことをしたら、勝とうが負けようが、戦争に参加した国が荒廃するのは当たり前のことです。

凄まじい数の死者が出ましたし、その戦死にはそれまでの戦争にはあったヒロイズムもなく、単に悲惨さと物悲しさしか残されませんでした。

これは、当時の人々にはかなり衝撃的な事実だったと思います。
個々の人間というものがこれほどまでに軽く扱われたことは、これまでに無かったはずです。
それまでの伝統的なヨーロッパの精神を崩壊させるのに、十分足る出来事だったことでしょう。
このような状況下で既存の価値観に対して、反発や拒否を起こす人々が現れるのもまた当然のことでして。
そういった人々による新たなる価値観を模索した動きが芸術と結びつき、第一次世界大戦後にモダニズムと呼ばれる芸術運動が各国で起こりました。

そのモダニズムの流れの中に、前衛美術と呼ばれる世界各国を席巻した一群の芸術運動があります。
第一次世界大戦前後に起こったこのような前衛美術の運動は、大戦で崩壊してしまったヨーロッパの精神の秩序を新たに築き上げるために、その方向性の模索という目的をもって、大戦後には燃え上がることになったのでしょう。
ダダイズム、シュルレアリスム、フォーヴィズム、ドイツ表現主義、キュビズム、未来派…等々。

ドイツ表現主義とは、このような時代の流れの中に位置するものなのです。

さらに、表現主義は目に見えない人間の主観的な内面を表現することを目指した芸術です。
人間の内面…つまり心の中というと、場所と時代を考えても一番に思いつくのはジークムント・フロイトの精神分析学ではないでしょうか?

第一次世界大戦という未曾有の惨劇による伝統的なヨーロッパ精神の崩壊。
さらに敗戦国ドイツに課された過酷な賠償金や軍事制約など外部からの常軌を逸した圧力によりもたらされた、国内の経済崩壊。
皆が精神的な足場を失い不安定になっている中、実際的な生活の上でも社会的不安が厚い霧のように国を覆っています。
寄って立つものを失った以上、人々の意識がごく個人的な「心」というものに向かっていくことは不思議ではないでしょう。

そこにちょうど、フロイトの精神分析学があったとなると。
表現主義の成立は、それが心の内面を表現することを目指した以上、精神分析学の流行に後押しされたにちがいありません。
そして精神分析学は心の病理を解き明かすための学問です。
その性質上、どちらかというとネガティブな感情の方に重きを置いたものになります。

このようなわけで、ドイツ表現主義は、人間の主観的な内面ーーーその中でも成立の過程から不安や恐怖、逃避などというどちらかというとネガティブな感情ーーーを表現することを目指した運動でありまして。
そういうドイツ表現主義の手法で作り上げた怪奇幻想映画『カリガリ博士』が芸術的に成功を収めるのも、まあ当然と言えば当然のことなのであろうと、私は思います。

怪奇幻想的なものと、ドイツ表現主義というのは、その成立過程からしてきっと相性が良いのです。









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長くなってきてしまったので、今日はここで一旦区切ります。
『カリガリ博士』についての記事の続きは、また次回に。





この『カリガリ博士』を見て連想したフランツ・カフカのお話など、したいと思います。










゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. 









もし魔法が使えるようになったら何に使う?どんなことする?ニヤリ


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ホウキに乗って空を飛びたいです!
きっとバランス取るのが自転車みたいに難しいと思うから、練習しまーす!