南条あや 著、『卒業式まで死にませんーーー女子高生南条あやの日記』を読みました。
新潮文庫です。









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今回も、取り上げるのは女子高生の書いた本なので。
セーラー服のエリーちゃんズにお供してもらいました。

ちなみに、最近ハマっていたティーンエイジャーシリーズはこの本で一旦おしまいなので。
次回はエリーちゃんズ以外に、本のお供をお願いしようと思います。

エリーちゃんズのお二人、お疲れ様でしたー!









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『ここにいるのは、特別な女の子ではありません。もしかしたら自分だったかもしれない「もう一人のあなた」です。渋谷、ゲーセン、援交、カラオケーーー。青春を謳歌しているイマドキの女子高生かと思いきや、実は重度のリストカット症候群にしてクスリマニア。行間から溢れ出る孤独と憂鬱の叫びが、あなたの耳には届くでしょうか。死に至る三ヶ月間の過激にポップなモノローグ。』

文庫本の裏表紙に書かれている本書の紹介文です。


この本は1999年3月、高校卒業後すぐに自死した18歳の女の子、南条あやがネット上に連載していた日記のうち、死の直前の三ヶ月分を書籍化したものです。

ネットからの移植ということで、本文は横書きで、本は左開きで読んで行く形になります。



著者の南条あや(Wikipedia)は、インターネット初期のネットアイドルとして、あるいはメンヘラ(精神不安定な人を表すネットスラング)達のカリスマとして、有名な方です。

今でこそ、インターネットは誰でも触るものになりましたけど。
2000年前後くらいって、まだパソコンもそこまで普及していなかった時代ですし、ネット接続するのも今のような使い放題の固定料金ではありませんでした。
ピーヒョロヒョロヒョロヒョロ…と、ダイヤルアップ接続をしていたあの音、まだ覚えてますよ。
そして、テレホーダイというNTTのサービスがあって、深夜帯だけ、固定金額でネットを使うことができました。
家でのインターネットは夜中にするものというのが一般的でしたねー、じゃないとお金がかかりすぎて。

確か、パソコン通信なんかもまだ息があったんじゃなかったかな?
パソコン通信からインターネットに切り替わって行くくらいの時代かな?
ニフティ、私も使っていました…なんかよくわからなかったけど、大学の友達に教えてもらって一応は、やってました。

パソコン自体も、なんか真四角でベージュ色で、今みたいにスタイリッシュなデザインではありませんでしたね。
iMacとか出たのもこの頃かな?
アップルからスケルトンなキャンディカラーのかわいいPCが発売されて、話題になりました。
当時はiMacはオシャレ最先端なアイテムでしたねぇ。みんな欲しがってましたよね。


ええと、まあ、そういう懐かしい時代。
まだブログサービスみたいな簡易なシステムもなくて、ウェブ上に自分のベースを持ちたいなら、頑張ってhtmlでホームページを作らなきゃいけなかったような時代が、本書の時代です。

その頃は、ネットで画像を見るだけでもすごく時間がかかり、動画なんて夢のまた夢…みたいな状況だったと思います。
だからホームページはほとんどがテキストデータだけで。
…下手に画像を載せてると、重いとか、センスがないとか、言われちゃってたんですよ。

あの頃のそういったサイトのこと、テキストサイトと呼びますが。
南条あやが日記を連載していたのも、テキストサイトの一つでした。
向精神薬を扱ったサイトです。


南条あやは、ある薬事系ライターの女性のホームページで募集されていた精神病や向精神薬に関する体験談募集にメールを送ったことがきっかけで文才を認められ、そのページに間借りする形で『現役女子高生あやちゃんのお部屋』のコーナーを持って、1998年5月から1999年3月まで日記を連載しました。
このうち、死の直前の三ヶ月分の日記が書籍化されて、本書『卒業式まで死にません』となって出版されております。


日記の内容はリストカットや瀉血などの自傷行為、精神科の閉鎖病棟への入院レポート、向精神薬への強い嗜好、などなど、女子高生の体験としてはかなり過激な行為に溢れていて。
それと並行して、学校生活や、父親との親子関係、好きな漫画や映画、ネットを通じて知り合った大人達との交際など、日常生活も綴られています。

文体は女子高生の日記らしく可愛らしく砕けていて、軽やかでポップで親しみやすいものです。
日記は明るい調子で、毒の効いた笑いがたくさんあり、流れるような文章で読みやすくて、たしかに文才を感じます。
日記を読んでいると、お友達のように「あやちゃん」と呼びたくなってしまうような雰囲気があります。
とても魅力的な文章です。

しかし…とにかく内容と文体のギャップがとても大きくて。
書かれているのは自傷や精神科での診療や処方薬の乱用についての深刻なことなのに、あまりにポップでキュートな文体なので、日記を書いたこの子は近い未来に自ら死を選んでしまう女の子なのだということを、忘れてしまいそうになります。
それに、日記の中で、たとえ彼女が深く傷ついてしまうような出来事が起こっても、自虐や皮肉を交えた笑いで飾ってしまっているので、彼女の心の痛みを読者は軽く受け止めてしまいそうになります…実際はその痛みに耐えかねて自傷をやめられず、何度も自殺未遂を繰り返しているほどの重い問題なのに。


南条あやが自死した当時、彼女は高校を卒業したばかりでした。
そして恋人と二人で、今まで他人のサイトに間借りする形で連載していた日記をまとめて独立するための自分のサイトを築きあげているところでした。
南条あやの死後にも、彼女の恋人や彼女を慕う人達によってその作業は続けられ、『南条あやの保護室』というサイトは完成して更新をストップし、メモリアル化されました。
今ではそのサイトは消えてしまってますが、インターネットアーカイヴを通して(インターネット・アーカイヴ版/南条あやの保護室)全体を見ることができます。
書籍化されなかった部分の日記も、そこで、全て読むことができます。

私も、本だけではなくて、ホームページの日記も全部読んでみました。
思わず引き込まれて読み込んでしまう、面白い日記でした。
当時、この日記が人気を博したのも頷けます。
そしてどちらかというと、書籍化されなかった部分の方が面白い気がしますよ。




今はアメーバさんのように、ブログサービスが一般化していますから、日記をネットで公開している人はたくさんいます。
女子高生もメンヘラも文才のある人も、たくさんいます。
でも、南条あやの時代には違っていました。
彼女の存在は特異なものでした。

精神科に通う女子高生が書いた過激でポップな日記。
彼女の日記の面白さはたくさんの読者を獲得し、才能を認められて雑誌に記事を書いたりテレビの取材を受けたり、インターネットアイドルとしてマスメディアにも登場するようになりました。

南条あやは、本名ではなくペンネームです。
一人の女子高生がネット上で築き上げた『南条あや』というアイコンは、急激に巨大化していきます。

そんな中で…これは最近のブログを書く大人達でも同じでしょう…サービス精神旺盛な彼女が、人気が出るほどに読者の期待や要望に応えようと努めてしまった部分は、きっとあると思います。
若者によくある成長に伴い急激に肥大化する自己愛からのひねくれた自己顕示欲による、露悪的な悪ふざけとしての虚栄心も後押ししたことでしょう。
具体的に言うと、読者を楽しませるため、ますます向精神薬に依存していくスピードを加速させてしまった、と言うようなこともあると思います。

日記を読んでいると、南条あやはいつも薬をバカスカ飲んでいて、驚かされます。
夜中のテレホーダイの時間にインターネットをするため、昼寝をしたいからと睡眠薬をたくさん飲んでみたり、気分を上げるために摂取してみたり、医者の処方とは違う使い方をしています。

向精神薬をまるで麻薬の代わりとして使う人や、それに依存してしまう大人はたくさんいます。
今までに、睡眠薬の乱用が何度も社会問題になったりしてきました。
ただでさえ依存性の強い薬が、まだ未成年の南条あやにこんなに大量に必要だったかは、疑問です。
南条あやは薬の知識が豊富でしたし、面白い効果のある薬を手に入れるためにうまく医者に話を振って処方させようとします。
こうなってくると、南条あやのように精神科に通う子供と、グレて違法薬物に手を染める子供と、差はないような感じがしますね。

リストカットや薬物の乱用など自傷行為への依存を見ると思わず「やめなさい」と言いたくなりますけど。
でも無理にそれをやめさせることは、もしかしたら残酷なことなのかもしれません。
誰だって傷つくことは嫌なものなのに、それでもそういう行為にすがりつかねば生きられないというのは深刻な状況です。
自傷を単に止めることは、そんな人から、最後の生きる支えを奪うことになりかねないと思います。
問題は、行為そのものではなく、その行為に依存し、その行為無しで生きられなくなった、その原因でしょう。

南条あやの場合は、本書に収められた『いつでもどこでもリストカッター』という自己紹介のような記事で、リストカットを始めたのは中学一年生の頃であり、その理由としては、小学生のときのいじめと、そのいじめから逃れるために受験して入学した中高一貫校での、またもやのいじめ、を挙げています。
小学生時代のいじめで深く傷つき、心機一転、父親に経済的負担をかけて入学した中高一貫校では、負担をかけた父の為にも今度こそはいじめられてはいけないと思っていたのに、またもやいじめの対象となり、責任感と絶望感に思春期の少女は苛まれ、その捌け口としてリストカットという自傷行為が始まったようです。

いじめ自体はその後無くなり、学校には仲の良い友人もでき、親身になってくれる先生もいたようですが。
家庭内では父親との軋轢に苦しんでいたようです。
南条あやは父子家庭で育ちます。母親が不在で、父と娘の二人家族です。
そして父はイタリアンレストランを経営しており、夜間は仕事に行かねばならないため、南条あやは一人で夜を過ごすことになっていました。

父親との軋轢といっても、日記を読む限りでは、この父娘の間にはお互いに強い愛情があったようです。
ただ、それが行き違ってしまっている感は拭えません。
父は娘を一人で育て上げ、私立の学校にも通わせ、きつい言葉を使いますがいつも娘のことを心配していましたし。
娘の方も、父の言いつけは守るようにしているし、父親に対して反感を持ちつつも、それでも父親が大好きなのが、日記を読めば見えてきます。

もしも兄弟がいたり、母がいたり、この二人きりの家族に他のメンバーがいたとしたら、父娘の激しい愛情間の緩衝材となって、うまくいったのかもしれないな、と私は思いました。
残念ですね。
別に憎み合っていたわけでもなく、お互いに確かに愛情があったのに、それ故に傷つけあってしまっているような…閉鎖的な人間関係、家族関係の中では、こういった愛情の煮詰まりみたいな状況が生まれやすいのかもしれません。

そんな中で、彼女はインターネットの中に居場所を見つけ、『南条あや』として、そこで彼女のユニークと文才を開花させ、一躍ネットアイドルの道を登りつめていくことになります。

彼女の魅力にハマる読者たちや、彼女の才能を尊重あるいは利用する大人たち。
南条あやはたくさんの人に認められ、受け容れられます。
これはある種のシンデレラストーリーみたいです。

ですが、だからこそ。
高校を卒業した時、彼女は巨大な不安に襲われることになったのではないでしょうかね。
現役女子高生というブランドが、無くなってしまったのですから。

3月11日、死の少し前の日記『ここは暗くて怖い』の日記で、
『11日に日付が変わって、私は完全に高校とも完全に分離したような、そんな状況です。
分離してみたら…。怖いのです。何にもなれない自分が、情けなくて申し訳なくて五体満足の身体を持て余していて、どうしようもない存在だということに気付いて存在価値がわからなくなりました。』
『所属する何かがないと、私はダメになってしまうようです。こんな自分を発見したのは初めてです。』
と書いています。

このしばらく後に、南条あやは、カラオケボックスの一室で向精神薬を大量に飲んで、その中毒症状で死に至ります。
ただ、この死は、『推定自殺』ということになっているそうです。
オーバドーズはしていますし、友人にも『今から死にに行く』と伝えてはあったようですが。
飲んだ薬は致死量には届かない量でしたし、薬物に詳しかった彼女なら、致死量は知っていたはずだろうに。
それでも死に至ってしまったのは、度重なるリストカットと瀉血でひどい貧血状態にあった南条あやの心臓が肥大しており、弁に穴が空いた状態になっていて、薬物の周りが早くなってしまったということもあったのではないかということ。

この時期の南条あやは、確かに高校を卒業し現役女子高生ブランドを失い、未来に不安を抱き、大変不安定にはなっていたようです。
しかし、あらたにじぶんのホームページを持って独立する矢先のことですし、恋人とは婚約が交わされ、未来に向かって恐る恐る、第一歩を踏み出そうとしていた時期でもあります。

もしかして、私が思うに、たまたま当時の彼女には耐えられないキャパオーバーのつらい事が起こってしまった時、発作的に自殺を試みてしまったのではなかろうかと思います。
死ぬために自殺しようとしたというより、生きるため苦しみから逃れるために、自殺しようとしたのではなかろうか。
どちらかというと、自殺というよりも、限りなく自殺に近い自傷行為だったのではなかろうか。
そう思うのです。
ただし、ずっと苦しんできた彼女ですから、その結果として自死が本当に成功してしまっても、それはそれで構わないという気持ちもあったとは思いますが。
まあ、わかりません。これは、私がなんとなく、そう思っているだけです。






彼女の日記は今なお、たくさんの人に、特に精神を病んだ人達に大きな影響を与え続けています。
日記に救われた人もいれば、逆に日記に引き摺られてますます病んでしまった人もいることでしょう。

一部の人たちには、特に若い人たちには、良くも悪くも影響力の大きな日記ですから。
この本は、気をつけて関わらないといけない、ある意味危険な本だと思いましたよ。

しかし、読み物としては面白いものです。
彼女にはライターとして生きて、もっとたくさんの記事を読ませてもらいたかったです。






















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私のブログ内で、読書感想文はインデックスページを設けてまとめてあります↓





過去記事も、よろしくおねがいします。










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夏に関する俳句を一句どうぞ!

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夏の果て
日々遠くなる
空の底

説明しまーす!
夏の果て、なつのはてのいうのは、晩夏のことです、今くらいの!
夏の終わりころに空を見上げると、日に日に天が高くなって行く気がしまーす。
それを空の底が遠くなると表現しました(笑)

本当は「夏の果て」ではなくて、そこには「群トンボ」を入れたかったんですけど。
トンボは秋の季語らしいので、やめときました。

群トンボ
日々遠くなる
空の底

んー、やっぱこっちの方がいい気がするな…











ブログスタンプを10日分集めるとシルバーランクに昇格するよ。

▼7月のあなたはブロンズランクでした


ブログスタンプを集めたご褒美に、今月もメダルをもらいましたー!