スザンナ・ケイセン 著、吉田利子 訳、『思春期病棟の少女たち』を読みました。
草思社のハードカバーです。









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今日の本のお供も、エリーちゃんズです。
最近、いつもエリーちゃん達にお願いしちゃってますね。

このところ、立て続けに、若い女の子が主人公の本を読んでいるので。
エリーちゃんが一番似合うかなぁと思いまして。
連続してお願いしておりますよ。









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本書『思春期病棟の少女たち』は、1999年のアメリカ映画『17歳のカルテ』の原作です。
『17歳のカルテ』はウィノナ・ライダーが製作総指揮にあたり、主演もこなした映画です。
さらにアンジェリーナ・ジョリーも出演していて、この映画でアカデミー賞助演女優賞を受賞しています。
境界性パーソナリティ障害で入院歴のあるウィノナ・ライダーがこの映画の原作である『思春期病棟の少女たち』に惚れこんで映画化権を買い取ったそうですよ。




この本には、実は太い帯がついておりまして、その帯をつけると、



こんな感じです。
『17歳のカルテ』を前面に押し出したデザインになります。




『17歳のカルテ』ヒットしましたよねー…とか言いつつ、私は観てないんですけど、この映画。
ただ、当時けっこう話題になっていたのは覚えてますよ。
私、映画はホラーとかSFとかファンタジーとかアニメとか…あとは古い映画ばかり観ていて、なんか現代の現実世界が舞台のものってあまり食指が動かないのです…
だから『17歳のカルテ』も観なかったんですよねぇ。






さて、『思春期病棟の少女たち』の感想です。
この本はノンフィクションです。
著者のスザンナ・ケイセンが実際に体験した、思春期病棟での入院生活の様子を描きつつ、『こちら側』と『向こう側』の危うい境界を見つめるお話です。

思春期病棟というのは、思春期に精神を病んだ人たちが入院する閉鎖病棟のことです。
精神の正常と異常の境界はそもそもあいまいなものですが、ことそれを思春期に限定すると、ますますあいまいなものになるのではないでしょうか。
体内ではホルモンバランスが劇的に変化している時期でありますし、若い時には誰でも多かれ少なかれ不安定になってしまうものです。
どこまでを正常とし、どこからを異常とするか、その境界線をはっきりと定めることは不可能でしょう。
それでも、境目の向こう側とこっち側はあります。

本書の主人公の女の子は、18歳の時に精神科医に『境界性人格障害』の診断を下され閉鎖病棟に入院させられます。

しかし、正直、本書の大部分を読んでいても、何で彼女が入院しなければならなかったのか、私には最初わかりませんでした。
彼女のどこがおかしいのか?彼女のどこが健常者と違うのか?
わからないんです。
多少不安定な感じはありますが、思春期の女の子ってこのくらいの子多いし…なんか、普通の子じゃん?って思ってしまいます。

でも、彼女が入院することになったのには、やはり理由があります。
彼女は入院する前に、ウォッカでアスピリンを一瓶飲み干し、自殺未遂を図っていたのです。

思春期病棟入院している他の子たちも、その普段の言動の描写を読んでいると普通で、何を治療しているんだろう?なんて最初は思ってしまいますが。
ある時、彼女たちは妙なこだわりを発揮したり、おかしな騒動や事故を巻き起こしたりします。
そこで改めて思い出すことになります、この本はただのティーンエイジャーの本ではなくて、閉鎖病棟に入院している少女達のお話だったのだと。




本書は、病棟での少女達の生活の様子を描いたパートと、著者が精神病について自分の経験を語ったパートが、ランダムに組み合わさっています。
そして所々に、当時の診断書や入院録などのコピーが、そのまま挿絵のようにして挟まれています。

少女達の生活の様子のパートからは、たとえここが閉鎖病棟であっても、ティーンエイジャーの子供達が作りだす独特の世界は変わらないということがわかり、微笑ましいような気すらします。
みんなで力を合わせたり、喧嘩したり、病院からの脱走を試みてみたり…病院に管理されている子供達が繰り広げる生活は、ちょっと校則の厳しい学校に管理されている女生徒たちの生活と、本質的にそう変わらない印象を受けました。
子供達の仲間の中で力を合わせたり裏切ったりお互いの関係を変化させながら、管理者に対しては迎合したり反発したり…側から見ていると、気まぐれとしか思えないようなスピードでコロコロと変わっていく思春期の子供達の主張や感情…慣れていない大人は振り回されてしまいます。
正常と異常の境目は、本当に曖昧です。

でも、境目は確かにあります。
病棟の少女達は、境目の向こう側にいます。
症状が悪化して糞便を壁に塗り始めてしまう子がいたり、退院後に自死を選ぶ子がいたり、より症状の重い女の子に憧れて、元は違ったのに自ら麻薬中毒になりに行ってしまった子がいたり。
彼女達には閉鎖病棟という強力な『保護』が必要だというところが、普通のティーンエイジャーの世界との違いです。




著者が病棟に入院していた自分を振り返りながら、精神病理について書いている部分は、医者や研究者ではなく患者の目線で書かれているところが面白いです(…それは、入院生活の様子を描いているパートにも言えることですけど)。

『隣にある別世界(パラレル・ユニヴァース)に移るのは、ごく簡単だ。パラレル・ユニヴァースはたくさんある。精神異常の世界、犯罪の世界、身体障害の世界、死にゆく者の世界、たぶん死者の世界もその一つだろう。こちら側の世界にそっくりで、すぐ隣にあるけれど、内側にはない世界。』

このように、著者は精神異常の世界もパラレル・ユニヴァースの一つ、すぐ隣にある別世界であり、そこに移行するのはごく簡単だと言います。
病棟の少女達も、彼女達が病気であることを忘れるくらい、ごく普通に見えるときが多いし…実際、ちょっとした違いなんでしょうね。


それから、『疾走と緩慢』という章に書かれている著者の精神異常への見解は、とてもわかりやすかったです。

『精神異常には基本的な種類が二つある。疾走型と緩慢型と。
始まり方とか期間とかを言っているのではない。精神異常の質というか、気違いとしての日常みたいなものだ。
名称はたくさんある。鬱病、緊張型、躁病、不安神経症、激越性鬱病。でも、そんな名前を聞いたって、何のことだかよくわからない。』

この後、疾走型と緩慢型と、それぞれについて説明してくれるのですが。
患者の中で何が起こっているのか、当の(元)患者が説明してくれているので、具体的な経験を教えてもらうことができます。
医者目線の説明ではーーー『でも、そんな名前を聞いたって、何のことだかよくわからない』ーーー外からの説明しかありませんから、一体患者さんの内側では何が起こっているのか、想像もつきませんから。








映画『17歳のカルテ』のあらすじをちょっと調べてみましたが。
お話として面白くなるよう、原作の『思春期病棟の少女達』に筋を与え、フィクションも加えて、ドラマティックに演出しているようです。

原作の本の方では、映画と違って時系列がバラバラですし、映画ほどドラマティックな事件は起こっていないです。

でも、なんだろう…なんだか、静かに淡々と語られる著者の外面、内面、両方の経験は、真実味をもって何かをうったえかけてくるものがあって、読み込んでしまいます。



巻末の訳者あとがきに、この本を推薦する良い文章がありました。

『自分に不安をもたない青春があるだろうか。過ぎてしまえば青春はまぶしい若葉の時代だが、まっただなかにいるひとたちは鋭敏すぎる感覚を抱えて疾風怒濤の時代を生きている。本書のなかの少女たちは、とりわけ激しい嵐にもまれている。なかには境界の向こう側に行ったきり、とうとう帰ってこなかった者もいる。だが、著者も言うように、境界の向こう側とこちら側はそう離れてはいない。』
『不安や虚しさにいたたまれない思いをしたことのある若いひとたち、彼らの周囲にいるひとたち、そして人間の心の不思議さを痛感したことのあるひとたちに、ぜひ本書を読んでいただきたいと思う。』








そういえば、この本を読んでいて、私は村上春樹の『ノルウェイの森』のヒロイン、直子達を思い出しました。
私が初めて『ノルウェイの森』を読んだのは高校生くらいの頃でしたが、あの頃、私はさっぱり直子達のことも主人公の男の人のことも理解できませんでした。
よくわからなかったんです。
でも、多分、この『思春期病棟の少女達』を読んだ後なら、理解に近づけるような気がします。


































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