最果タヒ 著、『十代に共感する奴はみんな嘘つき』を、読みました。
文芸春秋のソフトカバーです。









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今回も本のお供にはエリーちゃんズにお願いしました。
今日の本は女子高生が主人公の小説なので、セーラー服を着てもらいましたよ。

いいなぁ、セーラー服。
私も中高時代の制服、セーラー服だったら良かったのになー。
…すげーダサい制服だったんですよ。
せっかくのピチピチ十代、可愛いセーラー服が着たかったです。










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本書の著者、最果タヒは詩人です。
1986年生まれのまだ若い方です。

私は著者の詩集はまだ手に取ったことがありませんが、ネットでいくつかの詩を読んだことはありますし、著者のブログ(最果タヒ.blog)でエッセイを読んだこともあります。



初めて著者の詩を読んだときは、ちょっと驚きました。
ああ、こういうものが出てきたんだなぁ、と。
なんと言いますか、若者が若者の言葉を使って、詩という古くからある表現様式で、リアルな若者の今を、現在進行形のポップカルチャーを表現している…そんな感じでしょうかね。
なんか、詩という形式ですが、まったく古臭かったりダサかったり…おっさんおばさんくさいような、そんな感じがしなくて。

かといって、もちろん、思春期の少女が書きがちな、甘ったれたポエムとも違うもので。
最果タヒの詩は、ちゃんと詩に使われた言葉の一つ一つがしっかりと地に足をつけていて、全体として強固で堂々とした作品です。
そこに表されているものはとても繊細なんですけれど。

かつて、短歌で俵万智が出てきた時も、読者は同じような衝撃を受けたんじゃないかな?と想像します。
私はリアルタイムで俵万智の『サラダ記念日』に出会ったわけではないので、本当にただの想像ですけど。
古臭く凝り固まった世界に、一陣の若い風が吹き込んできたような、なんともいえない、考えもしなかった衝撃があったんじゃないかなぁ。






さて、というわけで、本書『十代に共感する奴はみんな嘘つき』の感想です。

この本は詩集ではなくて、最果タヒの小説です。
詩集の方も読んでみたいと思ってるんですけど、私は小説という表現形態の方が好きなので、とりあえず、小説から入ることにしましたよ。
それに、私、詩人の書く小説、好きですから。
やはり言葉の使い方が独特で面白いんですよね、詩人しか持ちえない言葉のセンスや言語感覚が面白いのです。






主人公は17歳の女子高生のカズハ。
彼女は隣のクラスの沢くんという陸上部の男の子に告白しますが、彼の返答は「ああまあいいよ。」でした。
なんだか軽いその答えにカズハは苛立ち、やっぱりやめよう、とその場で沢くんをフッてしまいます。
次の日には、カズハが沢くんにいきなり告白して、その場で彼をフッたという噂が流れており、カズハは仲良しグループの女の子ナツ達に責められます。沢くんをからかったの?と。

その日の放課後、ナツ達において帰られたカズハと、クラスに馴染めないでいつも一人でいてヘッドホンをつけて音楽ばかり聴いている初岡さんという女の子が一人で掃除をしている教室に、沢くんがやってきます。
そして、沢くんはカズハに抗議したり、初岡さんに話しかけたり、なんだか気がついたらカズハは三人で下校していて。
この奇妙な組み合わせの三人に起こった事件に、さらにカズハの兄の物語が絡んできて、お話は進んでいきます…


というのが、本書のストーリー紹介なんですけど。
この本もまた、あらすじはそれほど面白いものではないと思います。
ストーリーを楽しむというよりも、これは、文体をメインに楽しむものなんじゃないでしょうかねぇ。

女子高生カズハの一人称で語られるこのお話ですが。
カズハの心象をまるで垂れ流すようにして文字にしてあります。
スピード感があり、流れるように言葉が溢れ出し、方向が定まらない。

カズハの独白には結構な文圧を感じます。
この文圧は舞城王太郎の小説を思わせますよ。
言葉の弾幕がこちらへ発射されているみたいです。
(「弾幕」というのはシューティングゲームでよく使われる言葉です。
敵が大量に弾を打ってくる様子を弾幕と言うんですけど。
あまりに弾が多すぎて、その弾達の軌跡が美しい模様になっちゃってるんです。
あれは一種の芸術だと思います。)
あるいは、まるで言葉という粒子が飛ぶ風に、真正面から吹かれているように思えます。



主な登場人物は、主人公のカズハと、その恋人(?)の沢くん、友人の初岡さん、カズハの兄、兄の恋人のビッチ、兄の友人…この6人です。
6人ともかなりめんどくさい人達ですが、この中に悪い人はいないですね。

めんどくさい女子高生カズハが、めんどくさい残りの5人と関わる中で、そのめんどくさい思いを言葉に連ね、成長していく物語。
といった内容です。




タイトルが『十代に共感する奴はみんな嘘つき』ですけど。
どうだろう、私は。
共感…してるかな?してないかな?

少なくとも私は今の自分の年齢になって、若い人の気持ちがわかるとは、もう思えません。
自分の若い頃の気持ちを思い出せはしても、それはもう、大人になった私が見つめるかつてあった若い自分であって、若い自分そのものではありませんから。
もう、手の届かないところに行ってしまってます、十代の自分は。

でも、最近は私、ティーンエイジャーや20歳過ぎくらいの若い人達の文化に、すごく刺激されるようになりましたよ。
面白いです。

十代に共感しているかどうかはわかりませんが…本書のカズハにも共感というものは感じませんでしたし…でも、十代(や二十代)に魅了はされます。
面白いなーとは思います、かわいいなあとも思います。
それに、時々驚かされたり、感心させられたりもします、彼らの作る新しい文化に…例えば、この本の様な。







本の帯に小説の冒頭部分がそのまま載っていました。


『感情はサブカル。現象はエンタメ。
つまり、愛はサブカルで、セックスはエンタメ。
私は生きているけれど、女子高生であることのほうが意味があって、自殺したどっかの同い年がニュースで流れて、ちょっと羨ましい。』

そしてここに続くのが、

『パスタが食べたいけどお金がないから、家でミートソースばかり作ってもらって食べている。バターを節約したパスタはちょっとだまになって食べづらい。』


うん、なるほど。
わかりません(笑)










みずみずしい感性が紡いだ、若い人の今を、言葉の弾幕で表現したような小説でした。

装丁もとてもオシャレです。











私の過去記事の中に、最果タヒと同じく詩人の書いた小説の感想文があります。
松浦寿輝です↓
松浦寿輝『花腐し』
よろしければ、どうぞ。































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過去記事もよろしくお願いします。













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小学生の一年生か二年生の頃、私は泳げないのでプールが大嫌いで。

嫌で嫌で仕方なかったので、体育の授業、風邪をひいたことにしてサボってしまいました。
それが母にバレると怒られるので、バレないように髪を濡らして帰ったんですが…
馬鹿な私は水着を濡らすのを忘れてしまって、バレました(笑)
その後、めっちゃ怒られましたよー。

小学校も高学年になった頃には、私も多少は泳げるようになり。
プールの授業は、いつしか辛くてサボりたいほど嫌なものではなくなり、気がついたら、水に入れて涼しくて楽しい!ってところまで成長できましたよ(笑)