滝亭鯉丈 作、小池藤五郎 校訂、『花暦 八笑人』を読みました。
岩波文庫の黄色です。











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今回の本のお供は、貝殻をくるんで作ったストラップです。
これは私の作品ではありません、頂き物です。

私、何年か前に、石鎚神社にお参りしたのですが。
その時に、写真を撮ってくれと見知らぬご婦人にカメラを渡され、頼まれまして。
引き受けて写真を撮りましたら、お礼にと、そのご婦人が手作りされたストラップをくれたのです。

神社の真ん前でもらったものですから、なんだかこれは良いお守りになりそうだなと、喜んで頂いて、それから大事にしております。











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本書、作者名は滝亭鯉丈となっていますが。

正しくは、滝亭鯉丈は『八笑人』全五編中、第四編までしか書いておりません。
第五編は、一筆庵主人と與鳳亭枝成の作となるそうです。
この二人については、私は詳しくは知りません。



滝亭鯉丈は、江戸時代の滑稽本の作者です。
本名は池田八右衛門、1841年(天保12年)に死去しております。
『器用な細工人である上に、話術に妙を得て寄席へも出た程で、新内節をも巧妙に語ると言つた人物らしい。』と、巻末の解説にありました。
その上で滑稽本の作者もやっているのですから、何でもできる器用な人だったのですねぇ。
さらに、この解説によれば、滝亭鯉丈は人情本の方で有名な為永春水の実の兄でもあったようですよ。



この『花暦 八笑人』、何故私が手に取ったかと言いますと。
青空文庫さんで読んでいた岡本綺堂の『半七捕物帳』に出てきたからなんです。


滝亭鯉丈の『八笑人』の他にも、式亭三馬の『浮世風呂』も『半七』に出てきましたので、一緒に取り寄せました。

気に入った本に挙げられていた別の本って、読んでみたくなりますね。



さて、本書のタイトル『八笑人』は、陰陽道で方位の吉凶を司る神様、『八将神』(wikipedia)のもじりです。
『八笑人』とは、『八将神』に掛けた八人の能楽者(のうらくもの。のらくら遊んでばかりいる人達。)の集まりが主人公の、お話です。


上野の不忍池のほとりにある酔狂亭の主人、若隠居の左ニ郎(さじらう)。
左二郎宅に居候しているくせに、肩身を狭くせず図々しい眼七(がんしち)。
彼らのお友達の、安波太郎(あばたらう)、卒八(そつぱち)、野呂松(のろまつ)、出目助(でめすけ)、呑七(どんしち)、頭武六(づぶろく)、この人達はそれぞれの特徴が名前にそのまま出ています。

以上の能楽者八人が、茶番狂言を企むものの、ことごとく失敗する…その様子を滑稽に描いたのが、本書です。


茶番狂言というのは今で言うと、ドッキリ、みたいなものでしょうかね。
何も知らない世間の人の前で狂言芝居をやって、人々をだまくらかしておちょくり、最後はじつはドッキリでしたー!と、安心させて驚きや笑いを誘う…そんな感じです。


この『八笑人』、どうやら滝亭鯉丈は最初は四季ごとに二つの狂言芝居のお話を書いて、全部で八つのお話を作ろうと構想していたようです。
お話の合間合間には、当時の広告もそのまま入っているのですが、そこではそんなことが書かれておりました。

しかし、結局書かれたのは、五つのお話だけ。
しかも最後の一つは滝亭鯉丈の筆ではない、という始末です。
江戸時代の出版事情は、なかなかにいい加減だったようであります。
そういえばスペインはセルバンテスの『ドン・キホーテ』も、前編の続きをセルバンテスでは無い人が勝手に出版したりしてましたし、古今東西、著作権の無い世界はなかなかめちゃくちゃなことがまかり通りますね。
読者としては、それはそれで面白いですけど、作家や版元達は大変だったことでしょう。


本書で発表される、八笑人達の失敗茶番話は、

『飛鳥山花の雲』
『角田川のはな筏』
『兩國川の涼船』

ここまでは、当初の予定と作品が前後しつつも最初の構想通りに滝亭鯉丈が書いたようですが、

『高田の蛍狩』

に来ると、蛍狩りの人達の前で茶番をする予定を立てているところへ、忠臣蔵の茶番の話が舞い込んで、そちらに筋が変わってしまってます。

その次の最終編は、そもそも滝亭鯉丈は筆を取っておりませんし、最初の構想も吹っ飛んで、関係ない茶番のお話になっています。











八笑人達の一つ目の茶番『飛鳥山花の雲』のあらすじを、書いてみようと思います。




左二郎宅に集まった『八笑人』のメンバーの四人、左二郎、安波太郎、眼七、卒八は、いつものごとく激しい地口と洒落の応酬で、益体も無い話に花を咲かせて盛り上がっておりました。

そのうち、卒八が、日暮里のお花見場で見た面白い茶番(ドッキリ)のお話をします。

ノリが良く、お気楽で、楽しいことが大好きな明るい八笑人達ですから、その話を聞いてすぐに、自分達も茶番をやって世間の人を驚かし、感心もさせてみよう!ということになりました。

そこで計画を立てる為、左二郎宅の二階に泊まり込んで寝ていた出目助、呑七、野呂松を叩き起こしていると、さらに表からは図武六が、ごめんくださいとやってきて、八笑人のメンバーが揃いました。

茶番劇の筋立ては左二郎が考案し、それを皆に話します。
ところが、八笑人達は静かにお話を聞いていられるようなタマでは無く、左二郎が茶番の筋を話していても、すぐに洒落をはさんでまぜっ返してしまいます。
それでも、ようよう、最後まで話を聞いてみると。



巡礼姿の二人(左二郎と出目助)が、花を見ながらたばこを呑んでいると、そこへ、深く笠を被り顔を隠した浪人(安波太郎)がやってきて、タバコの火を借ります。
浪人が、タバコに火をつけるため、笠を上げたところ、その顔を覗き込んだ二人の巡礼が
『ヤアめづらしや鳥目百味、年來尋る親の敵』
と、騒ぎたてます。
なんとその浪人は、巡礼姿に身をやつして親の敵を探していた二人の、まさにその敵だったのです。
騒ぎ立てる巡礼二人に、浪人は
『不便(ふびん)ながらも反討(かへりうち)だ』
と、被っていた笠を捨てて、(お芝居用の偽物の)刀をスラリと抜きます。
巡礼二人も、杖の仕込み刀を引き抜き。
その場で大立ち回りを繰り広げます。
ここへ、旅の六部(図武六)が通りかかって、斬り合う浪人と巡礼達の間に錫杖を振り回して割り込み、
『某(それがし)一言いふことあり、しばらくしばらく』と、戦いを一旦止めた上で、背に背負った笈を下ろします。
そして、その笈の中から三味線を取り出すと、巡礼の一人(左二郎)に渡します。
その巡礼が『ヂヤヂヤヂヤンヂヤン』♪♪♪と三味を鳴らし始めると、残りの巡礼(出目助)と六部(図武六)が、『エ丶山できつころがした松の木根ツ子の樣(よ)でも』♪♪♪と唄い始め、浪人(安波太郎)は踊り始めます。
六部の笈カゴからはさらに酒や肴が飛び出して、すわ仇討ちか!?と息を飲んで見守っていた野次馬達がびっくり仰天する中、八笑人達は賑やかに酒宴を始めるのです。



八笑人達は、ドタバタ騒ぎながらお芝居の稽古をすませ、衣装や酒肴を調達し、花見客で賑わう飛鳥山へと繰り出します。



ところが。
まずは六部役の図武六が、すっかり六部姿になって一人で茶番の舞台となる茶屋を目指していると、間の悪いことに、図武六の家の大家さんと出会ってしまいます。
大家さんは、図武六の格好を見て、図武六が妙な発心でもして仕事と家庭を捨てて六部になって旅に出る気だと思い込んでしまい。
いくら図武六がこれはただのお芝居の衣装だと言っても聞かず。
証拠立てようと、背負った笈から酒肴三味線を出そうとしますが、図武六が途中でつまみ食いなどせぬように笈には鍵がかけられていて、蓋が開きません。
結局、無理矢理引きずられて図武六は家に連れ帰されてしまいます。

そして、巡礼姿の左二郎と出目助の方もちょっとした騒ぎに巻き込まれます。
二人で舞台の茶店に向かう途中、杖を振り回して立ち回りの稽古などしつつ歩いていたところ。
運の悪いことに、後ろを歩いていた田舎武士の二人連れに、勢い余って杖を突きつけてしまいました。
田舎武士は怒って、二人を手討ちにしようとしますが。
左二郎と出目助が申し開きをして命乞いをするうちに、結局茶番劇の筋立て通りに二人は巡礼姿に身をやつして仇討ちの旅の最中の二人連れだということになってしまい。
その話を聞いた田舎武士二人は、かえって感心して、二人を許し、褒め称えてくれたのでした。

さらに、浪人姿の安波太郎は、残りの八笑人メンバーとともに、巡礼役と六部役を、茶番の舞台となる茶店で待っていましたが、なかなかやってこないので。
暇を持て余した挙句、お花見に来ていたお武家の女中さんたちに、恋歌を送ってナンパしようとしましたが、機知に富んだ返歌でフラれてしまいました。みんな気楽なもんです。


こんな騒ぎをそれぞれ起こしているうち、浪人役の安波太郎たちの元に、やっと六部の鉦の音が聞こえてきました。
どうやら六部役の図武六がやってきたようだぞと、皆は思い込みますが、もちろんこの鉦の音は図武六のものではありません。
全く他人のジジババ達が鳴らしている音でした。

そしてここに、『ふウだアらア丶くウ丶やア丶。』♪♪♪の巡礼歌が聞こえてきて、左二郎と出目助がやってきました。

後は打ち合わせ通りのお芝居をやらかして、浪人と巡礼二人が切り結びます。
何も知らない花見客達は、大騒動で逃げ回り、あたりは野次馬と逃げる人でごった返して大変な騒ぎです。

しかし、いくら切り結べど、切り結べど、争いを止める役の六部の図武六がやってきません…図武六は大家さんに捕まって連れ帰られてしまっておりますから。

どうしたものかと、焦りつつも左二郎、出目助と安波太郎が芝居を続けていると、
「助太刀つかまつるー!!!」
と、先程の、出目助と左二郎の嘘を本当と思い込んだ田舎武士達が真剣を握って乱れ入ってきて。

哀れ、左二郎、出目助、安波太郎の三人は、田舎侍に追われて飛鳥山を走り回り、着物はボロボロになり怪我もし、それでもなんとか這々の体で逃げおおせることはできたのでした。

その後、残りの四人の八笑人達は取り散らかしたその辺りを片付けてから、左二郎宅に戻り、逃げ帰ったボロボロの三人と合流し、さらに大家さんの誤解の解けた図武六も加わって。
皆で無事を喜んで、大笑いとなったのでありました。











と、まあ。
こんな風なお話が五編、『八笑人』には収められております。


茶番は失敗して、かなり酷い目にあった者もいますが。
皆んなサッパリとしたもので、喧嘩などにもならず、笑っておしまいです。




これに続く茶番劇も似たような感じで、重なる手違いから失敗して、笑いを誘うものばかりです。
少々下品すぎる場所もありますけど…鼻水入りのお粥を食べて吐き出しちゃうとか…八笑人はみんなお気楽で、おふざけを心から楽しんでいる様子。
カラリとした無邪気な性格の人たちばかりなので、陰湿さが無くて良いです。
この底抜けの明るさは、読んでいてホッとするものがありますね。



それから、本書はその大半が対話で埋まっています。
地の文はほとんどないくらいです。
ですから、お話は登場人物のセリフの掛け合いで転がって行くことになります。
この八笑人達の軽妙な地口と洒落の応酬が、スピード感があって面白いです。
江戸時代のお話ですから、調べないと理解できないことも多いのですが。
今はネットですぐに検索できるので、助かりますね。
八笑人達の掛け合いの中には、お芝居の知識を必要とするものがたくさんありましたよ。
今でこそ、歌舞伎の知識はなかなか立派な伝統芸能の教養の一つってことになってますが。
江戸時代の感覚だと、テレビや芸能人に近いような、もっとミーハーで庶民的なお楽しみだったってのが、この本を読んでいるとよくわかります。


この岩波文庫の『花暦 八笑人』には現代語訳はついておりません。
ですが、所謂古文と言っても、江戸時代も終わりの頃になると、割と普通に読めてしまいます。

平安時代あたりのものは、なかなか原文をそのまま読むのはキツイですけど、この『八笑人』とか『東海道中膝栗毛』とか、その辺りのものは、活字におこしてルビさえふってくれていれば、特に古文に詳しくない現代人でも読むのは可能です。














江戸時代後期の町人文化の爛熟ぶりが、よくわかる本です。

のらくら者達が素人芝居に打ち込んで悪ふざけばかりし、毎日呑んだくれて遊んでばかり。
しかしかと言って、彼らはただの馬鹿ではなく、かなりキツイ洒落や地口もポンポンと自由自在にやりとりする切れ者揃い。
彼らは自業自得の大失敗にも反省などせず、笑いで軽く受け流し、今日もまた酒を飲んでは次の狂言を考えている。
底抜けに明るく、前向きで、楽しむ為に楽しんで暮らし、いい大人が本気で遊び、まさに人生を謳歌している。

フィクションとはいえ、これが受け入れられるのは、世間が平和で粋がわかり「洒落の通じる」人々がたくさんいたからでしょう。
いかにこの時代の江戸の文化が高いレベルに達していたか、そんなところから窺い知ることができます。

お話自体も面白いし、江戸文化のお勉強にもなりますし、読んでよかったと思いました。









あ、そうそう、忘れるとこでした。
この本の挿絵は渓斎英泉と歌川国直です。


こないだ私が読んでいた皆川博子の小説『みだら英泉』に出てくる人達ですね。

それもちゃんと収録されていますよ。
渓斎英泉のあの独特の美人画は、この挿絵でも健在です。














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