ウラジーミル・ソローキン著、望月哲男 訳、『ロマン』を読みました。

国書刊行会のハードカバーです。
ⅠとⅡの、二冊組みです。








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今日の本のお供は、ユニット折り紙。

川崎敏和氏 著、『折り紙夢WORLD』より、「桜玉」という作品です。
本当に桜の花の玉、ですね。
美しい。




…ユニット折り紙、私、一時ハマって作りまくってました。
多面体を作るのが楽しくて!

多面体を考えるには。
頭で考えるだけよりも、手に持って多面体を組み上げていく方が、空間的に多面体を把握できるようになって良いです。
慣れてくると、頭の中で3Dの設計図を動きを伴って展開させることができるようになります。
角を面で切ったり、辺を伸ばして面を消したり、その様子が動画風に想像できるようになりますよ。
気持ちいいです。





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ええと、この『ロマン』ですが。
知る人ぞ知る、現代ロシア文学のモンスターとも呼ばれる著者ソローキンの、アヴァンギャルド文学作品です。

他に例を見ない、すごい作品です。








以下、ネタバレしまくります。
なので、今後『ロマン』を読む予定の方は、閲覧を控えた方がよろしいかと思います。
…とはいえ、ソローキンファンならともかく、そうでなくてこの本を読もうと思うような人は、すでに中身の情報を得ちゃってるとは思いますけれどね。

この本を読もうと手に取る人は、私もそうですが、たいていは、読む前から中身をだいたい知っている…と思います。
その評判を聞いて、どういう本だか知って、手に取る人が多いと思うのです。









冒頭、物語の幕開けとして、美しい景色の描写がまずあります。
森に半分飲み込まれようとしているような、古いお墓の景色です。

鮮やかな植物の緑、しっとりと心地よい湿り気のある空気、楽しげな小鳥のさえずり。
遠くから聞こえてくる日々を楽しく暮らす人々の声をバックに、静かな、おとぎ話に出てくるような、素敵な景色。
誰でも、ここに足を一歩踏み入れたなら、ちょっと一休みしていかずにはおられないような、景色。

まるで古いディズニーアニメ映画の冒頭のような、メルヘンチックな、信じられないくらい美しい描写です。
あるいは、オペラの幕開けのような…。
ほんの数ページですが、うっとりと魅了されてしまうほどの力を持った導入部分です。

期待が高まります。







さてこの『ロマン』の主人公は、ロマン・アレクセーヴィチ・ヴォスペンニコフ。
都会で弁護士をしていたけれど、その生活を取りやめ、生まれ故郷に戻り、画家を目指すオシャレで美しい青年です。
人柄は快活で温厚。
誰からも慕われる、素晴らしい青年です。
身分としては、支配者階級ですね。旦那様、なんて農夫たちに呼ばれるような身分です。

彼の両親はもうこの世におりませんが、代わりに子供のない叔父夫婦がロマンを実の息子に対する以上の愛情を持って愛しています。

ロマンを取り巻く主な登場人物は、このロマンの叔父夫婦と、ロシア正教会の神父夫妻、アカデミーの教授夫妻、村の学校教師、村の准医、新しくやってきた元軍人の森番とその娘、それから、被支配者階級の農夫たち。

誰もが身分は違っても、穏やかで愛に満ち、牧歌的で桃源郷的な小さな社会を築いていますが。
ニヒリストの村の准尉と、農夫たちの中に一人いる村の鼻つまみ者の佯狂者が、その桃源郷のちょっとしたスパイスになっています。





物語の舞台となるのは、19世紀ロシアの田舎の小村。


19世紀のロシアでは。
ナポレオンがヨーロッパを引っ掻き回した後のウィーン体制で神聖同盟の盟主となり、イギリス提唱の四国同盟にも参加し、なかなか良い位置を占めました。
そして、その力でヨーロッパの民族運動、自由主義運動を抑えつけたものの。
自由主義の影響はロシアの貴族階級にひろまってしまいます。
彼らは、長らく続いたロシアのツァーリズムに終止符を打とうとデカブリストの反乱なんか起こしたりしますが、この反乱は肝心の民衆には広まらず鎮圧されてしまいます。

その後のクリミア戦争での敗退などから、ロシアの遅れっぷりが露見し。
ロシアは国内を改革しようとあわてます。
この頃のロシアはまだ農奴制なんかがあったり、まるで中世みたいな民衆世界なんですよね。
上からの改革で農奴解放令なんか出したりして、なんとか近代化を図ろうとしますが。ツァーリズムを保ったままのそれでは、限界がありまして。
結局その後、ロシア革命へと、社会主義へと、進んでいくことになるわけです。




そんな時代背景を持って、ロマンを巡る、小村での物語は描かれます。

小村社会は、かなり、牧歌的に桃源郷的に描かれてはいますが。
それでも上記の時代だからこそのロシアの民衆の様子が、縮図のように表されています。


ロシアの伝統を守るか、近代化を図り西洋化するか、思想的な争いあり。
そして、近代化を図ろうとしても、その重要性を理解できず付いてきてくれない民衆に絶望してのテロリズム。さらにそれでも上手くいかず陥る、ニヒリズムあり。
そこに民衆のロシア正教会への迷信深く素朴な信仰と、自由主義思想を身につけた新しい人々との違いも関わり。
当時のロシアのごちゃごちゃっぷりが上手く、小さな村での小さなグループの中に、描かれています。

それから。
これまたかなり牧歌的に桃源郷的に、つまりは理想的な(現実的ではなかろう)当時のロシアの、貴族と民衆の愛もわかりやすい形で書かれておりますし。

その文体は、私にはトルストイとかドストエフスキー、ゴーゴリ、それにプーシキンなんか思い浮かばせました(…あ、もちろん私はロシア語はわかりませんので、あくまで日本語訳での比較ですが)。
古の巨匠たちの文章を、意図的に真似て書かれているのが、一読してわかります。
見事なものです。

ここに描かれているのは、古き良きロシア。
愛に満ちた、幸せな田舎の小村です。






そこで活躍するのが、ロマン、主人公です。





ロマンは美しく賢く優しく、誰をも愛し、誰をも受け入れるような、素晴らしい人物です。
そして、ロシアを、民衆を、とても愛している。

その愛し方は、ニヒリストである村の准医や、やっかいものの佯狂者すら、その愛から弾き出そうとは全く思わないほど。
桃源郷に小さな棘となって刺さる彼らをも、ロマンは愛し、そして打ち勝つのです。



この村でロマンは様々な経験をします。
それはまるで、神話のような冒険譚を思わせます。




まずは古い恋の終わりから始まります。
ロマンは田舎に戻って、かつての恋人ともう一度やり直そうと企んでいたのです。
ロマンの心に長く続いた恋は、ロマンのかつての恋人がロシアを捨てることで、決着がついてしまいます。
ロマンはロシアを愛する者ですから、ロシアを捨てた恋人とは別れるより他ないのです。愛は終わりを告げます。




それから、民衆との関わり。
いくら民衆の中に入って仲良くしようとしても、身分差は民衆にロマンに距離をとらせます。
近しく親しく付き合っているようでも、どうしても消えない一線。それを寂しく思うロマンですが。
ロマンが物語の中で、燃えさかる家に単身突入して、その家に住んでいた老婆が大切にしていたイコンを命がけで救い出すことで、その民衆がとっていた距離はロマンを称えながら解消されます。
ロマンは英雄として、民衆の中に一線を越えて受け入れられるのです。




肉体的な冒険譚はまだあります。
狼とロマンの一騎打ちです。
なんと、このロマン、森で出会った狼が幼い獣を食い散らかす様子を見て、その浅ましい様子に我慢ができず、いきなり狼に襲いかかってしまうのです。
そして命がけの死闘をくりひろげ、ついに、勝利を手に入れるのでした。

…火の中に飛び込むわ、狼倒すわ。ここまでくると、もう、完全に神話レベルですね。でも、ソローキンは、狙って書いてます。大丈夫、安っぽくなんてありません。
見事な筆力で描ききっています。





そして、これらの冒険譚の行き着く先は新たなる恋の勝利です。
狼を倒したものの、瀕死の傷をおったロマンは、偶然森番に助けられます。
そして、この森番の娘に恋をするのです。

森番の娘は、実は血の繋がってない娘。
かつて森番が火事の中から救い出し、天涯孤独になった彼女を養女として受け入れた、それがこの娘です。

森番は娘をロマンに与えることを嫌がります。
なんと、どうしても欲しいならロシアンルーレットで決着をつけよう!とまで言い出すしまつ。
森番にとって娘は、手放すことのできない、天使なのです。
子離れできない親なんですね。

ロマンは大胆不敵にこの挑戦に応じ、こめかみに銃を当て、引き金をひきます。
また、冒険譚です。
もちろん、弾は出ません。ここで死んだらお話が終わりですからね。

その後、先ほど私が述べた、火事の中から命がけのイコン救出物語へと続き。
森番はかつて娘を助けるために火の中に飛び込んだ自分と、今回のロマンを重ねて、ついに頑なな心を和らげることとなります。

そして、ロマンはいきなり、次の日にはタチヤーナとの結婚式をとりおこなうのです。




こんなロマンの愛と勇気の冒険譚の合間には。
ロシア文学ならではのユーモアも挟まれてきますよ。

教会でのサウナ風呂でのくだりは、なかなかに面白い一章です。
風呂キチガイのアカデミー教授が、サウナで興奮して、一緒に入る友人たち(神父も含む)を無理矢理熱い湯気で蒸したりして、みんなで逃げ惑う…なんて。
ちょっとギャグ漫画みたいな展開もあります。



この小説に出てくる人たちは、ほんとうにみんないい人たちなんです。
素朴で、愛に満ちていて、ロシアを愛していて。
桃源郷に住む、悪意のない人々です。

先にあげた、ニヒリストの准医すら、ついにはその愛に負けて泣き出しますし。
鼻つまみ者の佯狂者だって、憎みきれないし、それに彼はまるで聖人のように神を称えるのです、立派なキリスト者です。





桃源郷のロマンの冒険物語のクライマックスは、森番の娘、タチヤーナとの素晴らしい婚礼の式とパーティです。

かなり多くのページを割いて、この婚礼の宴は描かれています。

ここ、圧巻なんですよ。

ロマンの家族(叔父夫婦)も、友人たち(支配者階級)も、タチヤーナの父も、皆がこのいきなりの結婚を心から涙を流して祝福します。

農夫たち(被支配者階級)だって、英雄のロマンを祝福します。

文面から溢れ出る祝祭の雰囲気は、読んでいるこちらもその空気に巻き込むほど。

ご馳走は派手なパフォーマンスをもって運び込まれますが、その文章表現はまるで絵画的といか映像的というか。
匂いまで漂ってきそうなリアルさをもって書かれています。
お腹が空くったらありゃしない!
私も一切れ、ご相伴にあずかりたい…なんて、口の中に唾が溢れそうになりますよ。

祝宴では、ロマンの友人たちの気の利いた祝辞あり、歌あり、ゲームあり。
農夫たちも楽しく飲み食いし、歌い、踊り、挙げ句の果てにはダンスバトルが始まって、その勝敗についての諍いから乱闘騒ぎが始まるしまつ。
ロマンの叔父が猟銃を天に向けて発砲した音で、みんなが逃げ出して、その乱闘騒ぎは鎮まります。

それでも、すぐに農夫たちは戻ってきて、騒ぎを起こしたことを謝り、また祝宴は続きます。

なんとも楽しそうな、夢のようなパーティ!
このパーティは夜を徹して続き。

やがて疲れたロマンとタチヤーナは、二人で部屋へと下がります。
「お前が好きだ」
「あなたはわたしのいのちよ」
何度も繰り返される愛の言葉を、それでもさらに、掛け合いながら。

二人は、結ばれるべくして結ばれた、互いの半身なのです。















と、ここまでならば。
私はこの小説、全ての人に勧めたいですね。
私の姪っ子たちにだって、勧めたいくらい!

悪意の全くない、善意と愛と勇気に満ちた、素晴らしい小説です。
文章力も天下一品(訳者の力も多分にあるでしょうが)!

まぁ、悪意がなさすぎて退屈する人はいるかもしれません。
でも、神話のように、素晴らしいことばかりが連ねられた小説だって、たまにはいいでしょう?
希望に満ちた、幸せな気持ちになれますもの!








***







もう一度、警告です。
以下、ネタバレ、ガンガンいきます。

ちなみに、まさかとは思いますが。
ここまでの私の文章を読んで、この本を手にとってみようか?なんて思った人がいたとしたら。
やめておいてくださいね、そして、そういう人はむしろ以下のネタバレに軽く目を通して、目を点にしてください。







***




さて、二人きり、部屋に下がったロマンとタチヤーナ、祝福された花婿と花嫁。

二人で部屋に届けられた、みんなからのプレゼントを確認しはじめます。

たくさんのプレゼントの中に、ニヒリストの准医からは、『振り上げたなら斬り落とせ!』と銘のほられた斧が贈られていました。
そして、鼻つまみの佯狂者からは、直接に不思議な木の鈴を渡されました。

ロマンは斧を持ち。
タチヤーナは鈴を持ち。

このロマンのⅡ巻の222ページが。







殺戮の始まりです。








なんの説明もありません。
先ほどまでは
「お前が好きだ」
「あなたはわたしのいのちよ」
と、上気した顔でかけあっていた、二人の愛の言葉。
何故か、今度は青ざめた顔で、同じ言葉をかけあいます。

タチヤーナは鈴をならし。
ロマンは斧を振り上げ、誰も彼もの首を斬り落とすのです。
家族も友人も一人ずつ順番に。
それが終わったら、婚礼の宴に酔いつぶれた農夫たちの家に向かって、全員を殺戮します。


ここからの殺戮シーン。
最初のうち、ロマンの家族や友人たちを殺戮するうちは、まだしっかりとした文章で。
さっきまで笑いあっていた人たちを無惨に殺すシーン、痛々しいです。
目を背けたくなります。

ですが。
順を追うごとに表現は簡素化され。
だんだんと流れ作業のようになり。

あの楽しげな人たちが殺される!…なんてことより、なんか、もう、麻痺しちゃって、ただの労働になってきます。

村中の人たち、一人一人、斧を頭に振り落とすシーンをご丁寧に全員分書いてあるので。
かなり、読んでいて、苦痛です。
もーわかった、わかった、早く全員始末してくれ!って、思っちゃうくらい…。
ある種の様式美を感じさせるくらい、簡素な表現がしつこく続きます。


そして殺戮が終わった後は。
教会で、なんだかロシア正教の儀式でも真似たような、謎のスプラッタ儀式を、ロマンはとりおこないます。

ここが、殺戮シーンに増して、さらに簡素化された文章がしつこく続きます。

あまりに簡素化されすぎて、表象レベルですら気づくくらいです。
本のページが、なんだかタイポグラフィみたいな、文字を使った模様みたいになっちゃってるんですもの。
『。』や『、』が斜めに並んでたりして。


ロマンはやがて、タチヤーナも殺し解体し。
わけのわからない動きを繰り返したあげく、自分も死にます。





おしまい。






…と、簡単にまとめましたが。
Ⅱ巻の222ページ以降を読むのは、まるで何かの修行でもしてるような気分。正直、すさまじい苦痛です。

物語も、テキストも、完全に死んでいます。
殺される人々だけでなくて。
もうなにもかも、殺されちゃってる。

この完全な死を、なんの前触れもなく、いきなり展開するために。
小説のほとんどの部分を占める、あの素晴らしい桃源郷の世界、19世紀ロシアの縮図、文豪のような文章…それらは殺される為だけに描かれているのです。

いや、ね。
いい加減なものを壊すなら、わかりますが。
これだけ完璧な小説を、壊す為だけに書いてしまうなんて!
ブラボー!私、こういうの、大好きです!

殺戮シーン以降の、読むのも苦痛な死んだテキストも、ソローキンに敬意を評し、私、一字も見落とさずに(イヤイヤ)読みました。
テキストの死というものを、体験したかったですしね。
…もう二度と体験したくないですけど。一回でいいや。



最後の方、それほどグロテスクな表現のない、死んだテキストをちょっと引用してみますね。
すごいですよ。

『…ロマンは一本指に唾をつけた。ロマンは指で床を擦った。ロマンは指をしゃぶった。ロマンは床のにおいを嗅いだ。ロマンは指のにおいを嗅いだ。ロマンは唇を触った。ロマンは笑いだした。ロマンは片手で頭をガンと打った。…』

これが延々、何十ページも続きます。
改行すらありません。

そして、さらに終盤では、目的語すら消えて、

『…ロマンは止まった。ロマンは伸ばした。ロマンは触った。ロマンは押さえつけた。ロマンは触った。ロマンは引っ張った。ロマンは殴った。…』

これがまた何ページも続きます。
ね、完全に、殺されてるでしょう?文章が。








冒頭にロマンの古いお墓の風景が、美しく描かれていましたが。

このお墓の中には。
この小説の登場人物も、描かれた世界も、物語も、テキストも、殺されたモノたち全てが眠っているわけです。

ソローキンは、きっと、この全てを作り上げて、全てを壊す!って行為を小説で表現したんでしょうね。
ブラボーー!









なんともはや、アヴァンギャルドな作品でした。
読むの…といっても最後だけですが、ものすごく疲れましたけど。
私は大満足です。

もしも、今後、この『ロマン』を読んだことがあるという人に出会ったなら。
私は意味ありげな笑みでもって、唇の端をちょっと引き上げることでしょう。
「ふーん、君も『ロマン』読んだんだー?」…なんてね。








あ、そうそう。
ちなみに、殺戮シーンのスプラッタ表現は、これ、文学作品ですし、あまり面白いものではありませんよ。
『ロマン』といえば、いわゆるグロ小説としても名前あがるとおもうんですけれど。
もしもそういうものを求めてらっしゃる方は、『ロマン』なんかではなく、ケッチャムの作品なんかを読むことをオススメします。










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今日は久々の読書感想文の記事を書きました。


天気が悪くて、お庭の様子をお写真におさめられなかったし。
ハンドメイドの作品も、暗くて、いい写真が撮れそうになかったし。

最近、読書感想文、あまりあげていませんでしたが。
本は読んでおりますので。
これからも、雨の日には、一部の私のブログの読者さんたちの頭を痛くさせている、恐怖の哲学書感想文なんかもアップしていこうと思います。



とりあえず。
次は書きかけて止まっている、『道徳の系譜』の感想の続きかな?
その時も、また、よろしくお願いします。




















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読書感想文の記事をまとめたインデックスページです↓


他のページもよろしくお願いします。
過去記事へのコメント等も嬉しいです。