一回しか観ていないので、細かいところを
覚えてなかったり、あやふやだったりしますが
覚えているうちに書き留めておきます。
とか言いつつ、すでに出だしがあやふやw
愛理が図書室でメール見るところから始まるっんだっけ?
あれって、最後に愛理が消える直前と
おんなじシーンだったように思います。
タイトルが入って、熊井ちゃんのお部屋。
壁にクラスメートの集合写真が張ってあるんですが
重要な小道具になるんだろうな、と思ってたら
なりましたねw
人が消滅する現象を、当事者たちがどう理解し
受け入れていくのかが、大きなポイントです。
集合写真から姿が消えたり、ケータイのアドレスが
全員一斉に消去されたりと、説得力があり、
無理なく腑に落ちてきました。
ただ、机が目の前で消えていくのはやりすぎかな。
写真もそうですが、気がついたら
いつの間にかなくなってた、
みたいな方が良かったです。
これは完全に好みの問題ですが。
ちょっとした遊び感覚で始めたゲームが
あれ、ちょっとおかしくない?
ひょとしてヤバイんじゃないの?
おい、これマジじゃん! マジ、ヤバイって!!
となっていく過程が、秀逸でした。
そして皆が事態を把握した時点から本番です。
ただ、人によって温度差があります。
実感が沸かないからか、現実逃避なのか
けっこうお気楽な人もいますね。
色んな人がいて当然、その方がリアリティがあります。
が、そのせいかあまり緊張感が
伝わってこなかったです。
それぞれの指令、罰もただ流されていく感覚で
印象が薄く、感情移入が出来なかったです。
エピソードを深く掘り下げてないから、
ということもあると思います。
あると思いますけども、それだけじゃないと思います。
そもそも、映画と言う枠で小さなエピソードを
拾い上げることは不可能ですし。
教卓からの、人の視線より高い位置から見た
映像が多用されています。
監督によると、あれはいわゆる神の視点で
観客に王様の視点で観てもらうためらしいです。
このことは映画を見た後で、インタビューを見ました。
なので、鑑賞中は知らなかったのですが
クライマックスの、幼馴染が待つ教室に
熊井ちゃんが入っていくシーン。
熊井ちゃんの視点から、徐々に上がっていって
神(王様)の視点になり、真下から熊井ちゃんが
現れるところ、すごく印象に残ってます。
ですが、序盤ではこの手法が裏目に出たようです。
小説の場合、三人称は客観的になりますが感情移入しにくく、
一人称は主観的で感情移入はしやすいのですが、
ともすると独りよがりに走りがちです。
神(王様)の視点を多用したことが、
感情移入できなかった、大きな要因ではないでしょうか。
長くなったので、続きは後ほど。